過去と向き合う日々 ~結局、歌かよ!~
昨日は栃木で雪が降ったりと、4月とは思えないとんでもないお天気だったけれど、今日あたりは少し元に戻りそう。とはいえまだ寒いけれど。
4月も着実に日が経っているのにな~室内に篭ってると、いつの間にか5月になり梅雨が来て夏真っ盛りになるのだろうか。う~ん。




前回のblogにも書いたとおり、もう何年も前に書いたまま眠っていたボツ曲を洗い出して、それをmp3に音源化する作業をしていて、大分進んでいる。
基本的には、昔の楽曲ファイルを開いて、それが当時の状態でちゃんと再生されるように音源やらなんやらを色々割り振って、かつミックスされた状態ではないのでこちらで軽くラフミックスして音源化している。
ほとんどの曲で僕の仮歌がレコーディングされているので、そこからメロディやコード進行をいじることはしない。また、ドラムや各楽器も一応しっかりアレンジされているので、そこも極力いじらずに、ミックス以外は出来るだけ当時の状態を再現している方向だ。
何故自分でもこんなことをやっているのかイマイチよく分からないんだけど笑、いつか誰かがやらないと折角のオリジナル曲がただのデータのゴミになってしまうし、誰かがやるとすれば僕以外にあり得ないので、お尻にムチを打ちながら馬車馬のように頑張っている。



でもやっていくなかで、色々気がつくことや、発見もあるんだよね。
この作業を通じて一番知りたかったのは、ボツになる曲とそうでない(世に出る)曲の何が違うのか、ということなんだけれど、アレンジが未熟だとか、ミックスのバランスが悪いからボツになっているわけではない気がする。
やっぱりメロディの良し悪しなんだろうか。ボツ曲はパッと聴いた瞬間に、自分でも「ボツかな」という判断がつく。そうでない曲は「ん?」という引っ掛かりがある。それが何なのかは具体的に説明できないんだけど、やっぱりメロディのどこかにフックがあって、僅かワンフレーズでも「心にひっかかる」箇所があると、他の曲に比べて少し印象の残り方が違う。
僕のボツ曲の中にも、箸にも棒にもかからない「完全なるボツ曲」と、自分的にはなかなか良い所までいってた「惜しいボツ曲」がある。それは作った当時の感覚なんだけど、あれから数年~10年以上経って改めて聴きなおしてみても、その印象というかジャッジがほとんど変わらないのは我ながら驚いた。
もっと昔の自分の未熟さや、あれから自分がどれくらい成長したかとか実感したかったんだけど、作曲に関してはあんまり変わってないのかもしれない(涙)。



あとやっぱり、歌モノを作曲している以上、歌はめちゃくちゃ重要だ。
世に出ないのだから所詮仮歌なんだけど、その仮歌のクオリティや出来に楽曲自体の印象もかなり左右されてしまう。実際の所、昔の僕は歌が全然下手だった。今でも下手だけど笑。
ボツ曲群の中にはほんの数曲だけど、ケンが歌っているものもあって、恐らく自分的にかなり良い所までいってたから彼にお願いしたんだと思うんだけど、やっぱり歌が上手いとそれだけでちょっとイイ曲に聞こえてしまうから悔しい。
とある曲があって、それがいい曲かどうかを印象付ける要素はそれぞれあるんだけど、例えばアレンジやミックスよりもメロディそのものの方が比重が大きいし、さらにそのメロディを表現する歌のクオリティは、曲のクオリティにも直結するんだよなぁ。
そんなの当たり前じゃん!と思うだろうが、その当たり前がミュージシャンや作曲家ほど分からなくなってくるものだ。誰が歌っても良い曲に感じられるのが理想だと思ってる所があるからなぁ。
「歌は下手だけど、メロディを聴いてください!」て思いながらデモ作りをしてる作曲家は沢山いると思う。いわゆる「シンセメロ」を使うのもこれが理由だ。でも聴く側の立場からすると、その曲の第一印象はまちがいなく「歌」に左右される割合が大きい。
いやー勉強になるなあ。


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