Third man running (1)
2005年の9月、僕は相も変わらず曲ばっかり作っていた。

バンドのHPが3年目を迎え、それを期にしたサイトのリニューアル。
自分も初めてblogを立ち上げて、また少し環境が変わった。
具体的に言えば、より自分の為に使える時間を貰う事が出来たのだ。
だからここぞとばかりに、その月は曲作りに当てる事が出来た。
けれどもそれは、ただそうした空き時間の変化だけではなかった。

その年の夏、バンドは初めて、大きな転機を迎える。
一番想像もしていなかった事こそ、ある日前触れも無く訪れるもの。
バンドのメンバーが一人いなくなることは、相当の喪失感を僕にもたらしていた。ライブどうしようとか、別のメンバーを探さなきゃとか、そういう実務的な事では全く無くて、ただ心にぽっかり穴が空いた様な気分だった。そうしたものを埋めるためにも、がむしゃらに曲作りをしていた部分もあったと思う。

その月の半ば、原宿で行ったワンマンライブは恐らく今まででも一番チャレンジングなステージだった。高いモチベーションで臨まなければいけなかったし、その成功に僕やバンドのメンバーはとても燃えていた。けれども今にして思えば、あのライブは初めて、本当の意味でメンバーを欠いた状態でやったライブだった。3年前、バンドの初ライブの時の緊張や興奮は今でも覚えているけれど、それに近いテンションがあったんだと思う。

なにせその日から、バンドは常に"サポート"を入れてライブしなければならなくなったからだ。それは僕にとって強いプレッシャーだった。それまでのように、バンドがあって、そこにサポートミュージシャンが加わるのではなく、メンバーもサポートも関係なく個々の出す音がしっかりしなければステージが成り立たないからだ。そんな当たり前のことさえ、その時の自分には不安や戸惑いを与えていた。

結果的に、去年の夏以降、僕は一回のライブで極端に消耗するようになった。勿論本番中は楽しんだり、集中していられるのだが、本番を迎える前日までのプレッシャーと、終った後の虚脱感が激しかった。それこそ気分だけは毎回ファイナルライブである。それはライブハウスでのステージだけでなくて、本来バンド形態での演奏ではない屋内でのイベントやストリートでの演奏もそうだった。まして自分の演奏があまり上手くいかなかった時など、気持ちの落ち方はハンパではなかった。今思うととっても情けないけれどもね。

そこから逃れるようにして、僕は曲つくりにのめり込んでいった。早い話が、逃げだ(苦笑)。幸いにもその時期は作曲意欲がすごく高まっていた時期で、自分にとっても渡りに船だった。ただ曲は出来るけれども、それをバンドで演奏するとなると、やっぱり怖い。いつもながらメンバーの厳しい耳でチェックされるのもあるが、それ以上に新曲をバンドで演奏することに個人的にビビッていた。そんな事よりも、純情BOYや世界中のマリアといった難曲(?)を練習しなければいけない。だからライブがある度に僕は必死で練習しながらも、隠れてコソコソ曲は作り続けていた。次回作に向けてストック、なんて格好いいもんではない。本当にコソコソやっていたのだ。

だからその時期に書いていた曲は、正直バンドに向いたものばかりではなかった。それじゃなんだかなーと当時から自分も分かっていたが、実際の所そんな弱っちい気分ではそれぐらいしか出来なかったのだ。そんな風にして始った去年の夏からのリスタートが、年を明けてから段々と形になってくるとは、その時の自分には少しも想像出来ない事だった。

夏に失くしたものを、どうにか埋めようとしていただけの秋だった。


(続く)



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