Emotional play
ここのところま~~ったくピアノの練習をしていなかったので、大いに反省してピアノの練習をしている。
基礎的な練習を毎日30分、いや20分やるかやらないかでも大きな差が出てしまうのが楽器だ。たかだかこの程度の時間を億劫になってサボってしまう自分は、根本的に楽器演奏が向いていないのかもしれません。

が、練習している時はやっぱり楽しいし、ある種の恍惚感というかストレス解消みたいな感覚も感じる。つまりピアノを弾くことはやっぱり好きなんだろう。ただ、その為の時間を割いて、毎日向き合うということから逃げてしまっているだけだ。これはピアノ限らず何ごとにもきっと当てはまっていて、毎日何かに30分向き合うというのは簡単なようで、僕には難しい。なんでこうなんだろうな、ホントに。

30分だけテレビ見るとか、30分だけネットやるorスマホやるなんて簡単過ぎてむしろそれだけで止める方が難しいのにね(笑)




で、ピアノの練習をしていてふと思ったんだけど、感情を音に込めて演奏すると言うことの難しさ。例えばある曲を弾くとして、譜面どおりに間違えずに引くこと自体は、よほどの難曲じゃなければそれほど難しくない。だけど、そこに自分の感情を乗せて弾く、楽しい曲は楽しく、悲しい曲は悲しく、そういう風にして弾くことはとても難しい。僕レベルのプレイヤーでは一生無理かもしれない。そうとさえ思ってしまう。

何となくそういうつもりで弾くことは出来ても、実際にそれが音に乗るか、ピアノの音と感情がリンクしているかというと、それが出来るようになるにはものすごい練習と努力と、持って生まれた才能みたいなのが必要なのかもなぁ。弾いている時は思いっきり感情込めて弾いているつもりでも、録音した音だけをプレイバックして聞けばやはり旋律と和音とリズムの連なりでしかない。そこに自分の喜怒哀楽を見出すことはなかなか出来ない。

こういうのはバンドやってた時もずっと課題として感じていたことだ。無表情な、感情のないままの演奏ではきっと聴く人の心に届かないだろう、と僕はずっと考えていた。(でも良く考えれば、クラフトワークみたいな音楽を好きな人も沢山いるので、必ずしも音楽に感情は絶対必要ではないかもしれなけど) だから出来るだけ感情が伝わるようなプレイを心がけていたけれども、それは往々にして「見た目の問題」であることが多かった。

笑顔で弾けば楽しそうに感じられるし、泣きながら弾けば悲しい気持ちなんだろうと、それを見た人は感じる。それぐらい、視覚から脳が得る情報は大きい。逆に言うと、聴覚から感じられる情報は小さい。例えば、ある曲をイヤホンで聴くのと、同じ曲のPVを画面を見ながら見聞きするのでは、同じ曲でも得られる情報は100倍以上違う。(実際にそういう実験がある) だから聞いてくれる人に感情を伝える為に、ある種のオーバーリアクションでミュージシャンは演奏するクセがついてしまう。

でも、今の自分が目指しているというか、目指さなくてはいけないのは見た目によらない、音そのものに感情を乗せるような演奏だ。それが出来れば本当のミュージシャンなんだろうけど、なかなか難しいよなぁ。。。





ちなみに、楽器ではなく歌(ボーカル)となると話は少し変わる。歌の練習はピアノよりもずっと真面目にやってるんだけど笑、やっぱり歌には感情を乗せやすい。見た目なしでも、歌そのものに感情を残して録音する事は楽器より遥かに容易いと思っている。感情を感じさせない歌って、もはや歌じゃないもんね。でもそういうのが割りとJ-POPでは好まれているんだけど笑
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