一年と一日目の日
3月12日になりました。昨日の日曜日は昨年の東日本大震災からちょうど一年の日。被災地を中心に、東京でも追悼や慰霊のイベントが数多く行われましたが、僕は午前中に仕事の打ち合わせ(たまたま福島県の方と)を軽くやって、あとは家に戻って静かに過ごしていました。




一年前のあの日、どこで何をしていたかというと、ちょうどその日は外に出ず自分のスタジオで作業をする日だったので、何の作業をしていたかはすっかり忘れてしまいましたが、Mixか何かをやっていたと思います。

午後2時46分を過ぎた頃、部屋全体がぐらぐらと揺れ始めて、スタジオに積み上げてる機材が心配だった僕はすぐに作業をやめて、特に高く積み上げていかにも倒れそうだったラックを倒れないように手で押さえてました。しかし、数秒くらいで収まるはずの揺れが収まらない。むしろ段々と強さを増すような感じで、僕が抑えているのとは別の機材群が倒れそうなくらい。

これはヤバイな、と思いながらも、とにかく機材が倒れないように必死で押さえていた記憶があります。この揺れの最中はまだTVもネットも見ておらず、とにかく「早くおさまれー!」とか一人で大声を出してました。多分第一波と、それにつづく第二波もあったせいで、実質揺れが収まるまでには永遠とも思われるくらいの長い時間に感じました。

ようやく揺れが収まって、へなへなと腰を落としそうになるものの、余震があるだろうと思ったので大急ぎで機材をバラして、床の安全な所に並べる作業をしつつ、TVをつけて横目で見ました。どうやら東北で大きな地震があったこと、数分後に5m以上の高さの津波が来る予報が繰り返し流されていましたが、各TV局は大変混乱していて、どの情報が正確で、どの情報が緊急に伝えるべきものなのかを把握しかねているように感じました。

なので、地震の規模や、その後の津波の情報よりも、お台場で火災が発生している事がまず「第一報」として中継で流され、次に東京の九段会館で崩落事故があり怪我人が出ている模様、というのが流されました。この「お台場」→「九段会館」の流れがあの日の在京キー局の報道順番だったのは間違いないと思いますが、今考えると単に「中継が早かった=取り急ぎ流せる絵があった」という感じもします。

あの震災の大きな被害となった「津波」の情報については、約一時間後にNHKが中継した宮城県名取川上空からのヘリ映像を見た時に初めてその事態に気付くことになったというか、あれを見たときにようやく「これは大変なことになった」という実感を覚えたのも事実です。

今考えると、地震発生から数時間は本当に何が起こっているのか、どのぐらいの規模の災害なのか全然把握出来ていなかった。もちろんその後の原発事故については知る由も無く。ただ、既に東京では大規模な通信障害が起きていて、交通網がストップすることで多くの帰宅困難者が出るだろう事はすぐ予測できました。

携帯、固定電話での連絡は無理だと思い、とりあえず自転車で近くの作業場兼事務所に向かったのが確か午後4時半くらい。このとき既に途中にある幹線道路が車や人で大渋滞になってた、という記憶は全然なくて、片道約15分の自転車を必死にこいで事務所に向かった記憶しかありません。渋滞の記憶はどうしても思い出せない。。。

作業場のほうは人も機材も無事で、とりあえず大丈夫そうだったので現場の人に任せて、また自転車で自分の家に帰ってきました。事務所の方は別の人がいるのでとりあえず任せたというか、自分のスタジオは僕しかいないのでもし何かあった時に誰もいないとマズいと思ったんでしょうね。

その後は…とにかくTVをつけながら、Twitterやネットラジオ、まちBBSなんかを平行して見聞きしながら東北の被災地がどんな状況なのかを把握しようと必死になってました。ただ11日の夜の段階では確定的な情報はほとんどなくて、Twitterが一番伝播力と通信ラインの確保の点では優れていたものの、信頼性ではやはり欠ける点は否めず、ヨーロッパ、続いてアメリカが速報で報道を始める11日の夜以降は海外の報道をネットで追いかけていました。




あの日のことは鮮明に覚えている部分もあり、一方で夕食に何を食べたかとか、何か買い物にスーパーやコンビニに出かけたとか、そういう記憶は一切ないんですよね。忘れてしまったのか、何も食べずどこにも出掛けなかったのか、それさえも思い出せません。自分の記憶ってなんていい加減なんだろうと思います。

言うまでもなく、去年の3/11の震災は僕の人生観、考え方を大きく変えました。原発のこととか、その後被災地に行ったこととかも勿論ありますが、あの3/11という日を境に何かが完全に変わってしまったように感じます。だから、365日のうちの一つとしてじゃなく、2011年の3月11日はこの先も決して自分の中から消えることのない日だし、昨日の3/11も単なる区切りや、節目だという風には全く思えません。

復旧・復興にまだまだ程遠いのはみなさんもご存知の通りですし、今もなお行方不明の方が大勢いらっしゃいます。そのことについて、いつになったら僕達は「区切り」や「節目」を迎えることが出来るでしょうか。今はまだ、誰にも分からない。ただ、分からないからといってやらないわけにはいかない。

必ず復旧・復興する日を自分達の手で迎えなくちゃいけないんだと思います。時が過ぎれば節目や、区切りが向こうから来るわけじゃない。「あの震災から○○が経ちました」と、過去形として言えるようになるには、もっとずっと沢山の努力と、時間と、一人一人の気持ちや記憶が必要になると思います。今もこうしてまだ生きていられることに、常に感謝しながら。

こういうことは、本当は昨日書かなきゃいけないことなのかもしません。それでもどうしても僕が昨日書かなかった(書けなかった)のは、こう言うことを3/11にblogに書いてしまうことが「一つの区切り」になってしまうのが嫌だったからです。

なので、誠に勝手ながら今日を「あの日から一年経って、2年目の最初の日」と思って書きました。まだまだ続く日本の復興への長い長い道のりは、たった1年と1日目の所にいるに過ぎません。時間も記憶も、自分達が思っている以上に「風化」しません。だから、機会があるごとに自分の記憶を確かめつつ、少しでもなにか自分に出来ることがないかをまた考えて生きたいと思います。


読んで頂きありがとうございました。
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