a message of condolence
今までで一番長いblogになります。
お時間なかったら、読み飛ばして頂いて構いません。
とても個人的な、私信のような文章です。
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今から一週間前、
僕の知り合いのソングライターが亡くなった。

直接連絡があったわけではなく、ネットニュースで知った。

今でもまだ信じられない気持ちなので、
その人の名前や記事について書く事はないけど、
既に知っている人もいるんじゃないかと思う。

享年36歳。あまりにも早く彼は逝ってしまった。



もう10年近く連絡を取っていないので、親しい友人だとか、
音楽仲間、と言うつもりはない。あくまで古い知り合いだ。

僕がN君と知り合ったのは学生の時で、
もちろんまだLINDAもやっていなかったし、
バンドや曲作りもやり始める前。
ネットもほとんどないような時代に、
とある芸能事務所からの紹介で知り合った。

彼はその時、既に大学を卒業してシンガーソングライターとして
プロデビューを目指し、上京してきたばかりだった。

プロを目指して上京してくる、それだけでも当時の僕にとっては
すごい存在だったが、何よりも凄かったのは、その時彼が作った
オリジナル曲のデモテープを聞かせてもらった時だ。

僕はまだオリジナル曲を作るとか、作詞をするということが
どういうことか全然分かっていなかったのだけれど、
自分の聞いたその曲が、どのくらいのクオリティで、
どのくらいの才能を持った人が作った曲なのかは、
聞けばちゃんと判断できる自信は、あった。

で、そのN君のデモテープは、
はっきり言ってずば抜けたクオリティだった。
ほんの何歳かしか違わない、同世代の人が
こんな曲を、こんなクオリティで作れるのか。
プロを目指すって、こんなに凄いのか。
強い衝撃を受けたのを、今でもはっきりと覚えている。



加えて彼は真面目で、人当たりが良く、柔らかい人だった。
決して調子に乗ったり、自分はこんなに凄いんだぞ、
みたいな態度や口調を絶対にしない人で、
とにかくどんな人に対しても同じように、優しく丁寧に接する、
ひたすら真面目な印象の好青年だった。

20歳そこそこの若造で、しかもちょっと人より優れた才能や
アピールポイント持っていたら、ちょっとは調子こくのが普通だ。
もちろん当時の僕だってそうだっただろう。
しかし彼はそんな事もなく、いきがる僕にも優しく接してくれた。




出会ってすぐに、僕らは意気投合した。
多分もともとの性格や、考え方が似ていたんだと思う。

お互い、これからプロのミュージシャンを目指して頑張ろう、と
色々な話をして、情報交換をしたり、音楽談義を沢山した。

僕にはもちろん、彼と仲良くなって、作詞や作曲について、
どうやってこんな曲を作っているのか教えて欲しい、という
切実な願望というか、下心のようなものはやはりあった。

今思えば、それほど当時の彼のセンスや技術はずば抜けていた。
実際の所、僕は今までの人生で誰かに作詞・作曲を
習いたいと心の底から思い、自ら教えを乞いに伺ったのは、
このN君と、数年後に出会うbeingの偉い人(当時の社長さん)だけだ。

本当に、当時の僕にとっては先生のような人だった。



ただ、そんな彼もすぐに順風満帆で進んだわけではなかった。

シンガーソングライターとして、デビューのチャンスは
なかなか掴めなかった。

誰が聴いても、間違いなく才能のある人間だと言うことは
すぐに分かったと思うが、それとデビュー、成功というのは
決してイコールではないのが、この業界だ。

僕の知らない、いろいろな葛藤やジレンマがあったと思うが、
とにかく上京して数年、彼は目指していたソロシンガーとしては
デビュー出来なかった。

「やっぱり作曲やアレンジで、裏方につくのがいいのかな…」
ある日そんな風に、ポツリと僕に言った事があった。

それが愚痴なのか、諦念なのか、僕には分からない。
ただ事実として、彼はシンガーソングライターとしての
ソロデビューを叶える事なく、作曲家としての道を選んだ。




そうこうしている間に、僕はケン達と出会って、
バンドというものを本気でやるようになった。
さらにその後も、僕としては順調すぎるくらいに、
バンドはどんどん成長していけた。

僕は自分で作詞・作曲をするようになり、そうして作った曲を
多くの人に聴いてもらうチャンスまで掴む事が出来た。

自分自身の夢、バンドの事、ソングライターとしての切磋琢磨、
そういったものに夢中になって時間と情熱を注ぎ続けた事で、
僕は段々とN君と疎遠になってしまった。

彼が今どんな曲を作っているのか、音楽をまだ続けているのか、
そういった事もほとんど知る機会がないまま、さらに数年が過ぎる。




2007年、当時かなりの高視聴率を叩き出していた人気テレビ
ドラマの主題歌に、彼が作詞作曲した楽曲が使われた。

歌っているのは彼ではなかったが、ヒットチャートに
彗星のごとく現れた彼の「作詞・作曲」のクレジットを見た時、
あぁ、ついにN君も夢を掴み取ったんだ、と
心の底から嬉しい気持ちになった。

その年は、その曲以外にもCMソングやアニメの主題歌、
人気アイドルグループへの楽曲提供など、
とにかくヒット曲を連発させて、一気にN君は
売れっ子作家の仲間入りを果たした。

僕と出会ってから、既に5年以上が経過していたから、
それまでほとんど世に出て来れなかった彼を知っている
僕からすれば、本当にようやく、諦めずにやっとやっと
辿り着いた成功である事が心の底から理解出来たし、
本当におめでとうと伝えたかった。

連絡を取らなくなって既に数年。
もはや携帯番号さえ同じかは分からないし、
僕の事を覚えているかどうかも分からない。

何せ彼は、出会った時に僕と語り合った夢を、
諦めずについに掴んだんだ。
まだ夢を掴んでいない自分が、おめでとうなんて
言える立場じゃない。

そう思って、心の中で彼の祝福を祈りながら、
携帯のメモリーを消した。




あれからさらに、5年が経った。

今、少しずつ思い出しながら改めて感じるのは、
僕が自分のオリジナル曲を作曲、あるいは作詞したいと思った
一番最初のきっかけをくれたのは、もしかしたら
N君だったのかもしれない、ということだ。

そして、どうせ作るなら、これぐらいの高いクオリティで、
これだけ誰かをあっと驚かせたり、
感動させされる楽曲でなければいけない、という
一つの基準を、僕に与えてくれたんだと、今になって思う。

彼とあの時、あの年齢で出会って、
共に沢山の話をしなかったなら、
今の僕はなかったかもしれない。

彼がこの世からいなくなって、初めてそんな事を考えた。




報道によれば、彼の元には彼が書いた遺書が残されていたという。

「多くの人に自分の曲を歌ってもらい、もう満足した」と。

そんな事は、あり得ない。
少なくとも、僕の知るN君だったなら。

彼がどれだけ、自分の曲を自分で歌いたいという情熱を持っていたか。

音楽に対する飽くこと無い探究心と、深い愛情を持っていたか。

もっともっと、人を感動させる楽曲を沢山作りたいと願っていたか。


そういう話を、あの時何度も、何度もしたんだよ。


だけど、もう一つ彼について僕が知っている事があって、

どんな時も、周りの人に心配や迷惑を掛けたくないと思っていて、
自分からガツガツしたり、苦しんでいる所や悩んでいる所を
人には決して見せないタイプだった。
あくまでも自然体で、柔らかく、自分以外の誰に対しても、
気を使いすぎるくらいの、優しすぎる人だった。




友人でも仕事仲間でなんでもない、ただの古い知り合いが
こういう事を書くのは、本当に失礼な事かもしれない。

ネットでは、彼の死について色んな人が色んな事を言ってる。

そのほとんどが、彼と会ったことも、知りもしない人の
単なる勝手な憶測、いいかげんなでっち上げだ。

でも、僕だって自分が十代の時に、上京したての彼と
ほんの僅かに袖刷り合わせただけの縁だから、
今さら何を言っても、それらとほとんど同じようなものだろう。




どうして彼が、人生を終えてしまったのか。

何を考え、何を望んでいたのか。

今さらどう考えても、僕には分からない。

亡くなる直前まで、Twitterもやってたくらいだから、
フォローでも入れて、「お久しぶりです、元気ですか?」って
そんな事さえも、僕は出来なかった。

この一週間、ただただ言葉に出来ずに考えていたよ。

自分は、何も出来なかったのか、と。

あるいは、これからまだ、何が出来るのか、と。




自分もあと何年かすれば、同じ36歳になる。

その時に一体、どんな事を考えているんだろう。

音楽とは、どういう風に向き合っているんだろう。

今はまだ分からないけど、今までこうやって音楽や
曲作りに関ってこれたのは、やっぱり彼の影響があるんだ。

だからとりあえず今、言える言葉は一つしかない。





N君、今まで本当にありがとう。

どうか安らかにお眠り下さい。
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