小室哲哉裁判にみる、音楽とカネ。そしてこの業界の複雑さ
最近キテるなぁと思うのが、産経新聞webサイトの「法廷ライブ」の記事。社会的に大きな注目を集める裁判の後半の中身をほぼ実況風で記事にしてるんだけど、裁判というのはこんな風に進むものなのかと驚くことしかり。

今年からは僕たち民間人による裁判員制度も始まるわけで、ある程度その中身というか、雰囲気を掴む為にも読んでみるのもいいと思うけど、ワイドショーとかが好きな人には、究極の覗き見みたいな所もありますよね。




で、数日前から始まった「小室哲弥被告の裁判」初公判が始まっています。音楽業界や芸能界の「世間からは見え難い」部分、今まで業界のほんの一部の人間しか知りえなかった真実の部分がこんなにも具体的に分りやすく露呈してしまった事例は、いまだかつて無いと富もう。



以前のblogでも書いたけれど、日本の音楽史上において、小室さんは最高レベルの才能と評価を持っている人だと、僕は個人的に思っている。彼の生涯売上を越える作曲家・作詞家が今後J-POPに出てくる可能性は限りなくゼロに近いし、TKブームの時にヒットした楽曲の訴求力は、「あの当時」はありえないくらいクオリティが高かった。

公判の中で僕が一番驚いたのは、当時のTKブームとそこから生まれるヒット曲の莫大な売上を、小室さん本人も何故そうなっているのかはっきりと把握できていなかった、という発言。そして、ブームが過ぎ去って売上が落ちてきたときに、周りの人間が「本人の作曲意欲・能力の衰え」を感じていたという証言。こういうのって、いざ裁判という場で「証言」として言われると違和感を感じます。




あと個人的に気になるのは、「楽曲」がそもそも債権や資産のように、担保的な価値を持つものなのか、という所。もちろん楽曲には権利があって、そこから印税というお金も発生する。ただ、公判中にもあるように「○曲の楽曲には○億円分の担保価値があって○%の利回りが期待できる」というようなやり取りは少なくとも音楽製作者でないリスナーにとって、違和感がないだでしょうか。

だって音楽は株券とか不動産じゃないはずで。どんな楽曲にだって数値化出来るような価値なんてないし、音楽の価値ってのは聴いた人、受け取った人が「ココロ」でどのぐらい満足するかであって、そのぐらい形の無い、手に取ることの出来ない無形の価値のはず。

たまたまCDが一枚いくら、ダウンロードで一曲いくらという風にビジネスサイドの取り決めがあって、そこからさらに何%かのお金が印税なんてもんになるんだけど、そんなの音楽そのもの、楽曲そのものの無形の価値と比べれば、本当に取るに足らない、些細なものだと僕は思います。




実は僕、日本著作権協会(JASRAC)が認定する「音楽著作権管理事業者」の免許を持っている日本で数少ない(僕だけ?)ミュージシャンなので、著作権やら印税やらの法律に関しては、普通のミュージシャンより多少なりとも詳しいと思うんだけれども、そんな自分だからこそ、ここまで音楽とカネをダイレクトに結びつけた歴史的にも大きな事件に、色々な意味で考えさせられます。

カネに溺れて、身を崩してしまう音楽家は確かに愚かで間違っていますが、その周りにゴマンといる、音楽がカネになると思っている音楽家じゃない人達が僕は心底、苦手なのです。そんなこと言い出すと音楽ビジネス全体の否定になりかねないですけど(苦笑)。



あんまり上手くまとめられませんが、著作権とか印税って、あくまで後付けなんです。そう言うことを意識しながら、ベーとベーンやモーツアルトが曲を書いたでしょうか。ビートルズがバンドを結成したでしょうか。山下達郎さんはインタビューでこう仰っていました。

「別に僕は金が儲けたかったわけでもスターになりたかったわけでもないので、そういうところに執着がないんですよね。(略)そうなったらもう曲なんて書けなくなる。だから僕はそういうことをしないようにしてきた。もっと曲を書きたいから。」

本当はミュージシャンなら誰だって、こう思うのが普通だと僕は思います。ではまた。
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