先日、実家の断捨離(大掃除)を手伝っていた際に、どこでどう時空がねじれたのか(中二病)、自分が18歳の時にバイクで北海道から九州の鹿児島まで縦断した際の日記が出てきた。
日記というか小さな手帳に一日づつ記録をつけたメモのようなもので…それを書いたこと自体は覚えていたが、流石にどんなことを書いていたのか、旅の細かい出来事は全く覚えていなかったで、まー興奮しながら読んだよね。
文字の筆跡はもちろん、文体というか書き方の癖まで今と全く一緒…今も毎日日記は書いているけれど、それと比べても全然違和感がないので驚く。
普通は18歳ごろの日記なんて読んだら「かーっ!何言ってるんだこいつ!」と真っ赤になるぐらい恥ずかしくなりそうなものだけど、現在の自分と全く変わらないのというのも。。。
当時から達観していたのか、それとも未だに子供みたいということか。
毎日バイクのガソリン代がいくら、食費が一食いくら…と1円単位でちゃんと記録しているのも今の自分と全く変わらない(笑)
そんなわけで、18歳のバイク日本一周という体験が、まるで昨日今日のような感じで思い出せて楽しかったのだけど、よくこれがまだ残っていたなぁという驚きと、ちゃんとこういう日記やメモを残しておいた自分にものすごく感謝した。
当時やっていなかったら、後になって、まして今からこの当時を思い出したり、心境をつづるなんてのは不可能なわけで。
本当にミニサイズの手帳で、引き出しの奥深くにしまわれていたのが功を奏したが、ちゃんと捨てないでくれた両親にも感謝しなければならない。(もっとも、両親もこのメモの存在は全く知らなかったと思うけど)
今この現代に思うのは、こうやって手帳なりなんなりに旅の記録や、普段の日常についてだって、記録して残しておくというのはものすごく意味がある。
必ず何年後、何十年後に見返した時に、普段感じることのない大きな感情の動きがあるはずだから。
ただ、手帳とかってやっぱり物理的になくしてしまったり、捨ててしまったり、紙だから破れたり劣化もある。
なので、テキストやデータとしてハードディスク上に、あるいはクラウド上に残しておくのが一番だろう。
もちろん当時はそんなものなかったので出来なかったが、今ならそういうテクノロジーはいくらでもある。
しかも無料で。
写真やビデオも全くその通りだ。
このバイク旅の時の写真もほんの少し残っているが、当時はもちろんデジカメもスマホもなく、「写ル〇です」みたいなインスタントカメラ(懐かしすぎる!)で風景や出会った人との写真を撮っていた。
でもインスタントカメラだから、現像してみたら上手く取れていない写真も沢山あったり、そもそも撮る枚数だって一枚いくらでお金かかった時代だから、一か月間かけて日本縦断して、27枚とか39枚しか撮っていないのだ。動画なんてもちろん撮ってないし。
今から考えると信じられないよね?
最近そういうことをかなり考えていた時に、ちょうどこの手帳を見つけてしまったものだから、改めて自分がどこに行ったとか、何をしたとか、誰と会ったとか、そういうのは記憶以外にもちゃんと残した方がいいよなぁと強く感じた。
昔はそれをやるのにお金も、技術も、労力も大変掛かったので出来なくてしょうがなかったけれども。
今はそういう事が、昔の何百倍も手軽に、誰でも出来る。
早速、この旅日記の内容を全部テキストで起こしてクラウドに保存しようとしているのだけど、つくづく私ってマメというか暇人だなぁと思う(笑)
日記というか小さな手帳に一日づつ記録をつけたメモのようなもので…それを書いたこと自体は覚えていたが、流石にどんなことを書いていたのか、旅の細かい出来事は全く覚えていなかったで、まー興奮しながら読んだよね。
文字の筆跡はもちろん、文体というか書き方の癖まで今と全く一緒…今も毎日日記は書いているけれど、それと比べても全然違和感がないので驚く。
普通は18歳ごろの日記なんて読んだら「かーっ!何言ってるんだこいつ!」と真っ赤になるぐらい恥ずかしくなりそうなものだけど、現在の自分と全く変わらないのというのも。。。
当時から達観していたのか、それとも未だに子供みたいということか。
毎日バイクのガソリン代がいくら、食費が一食いくら…と1円単位でちゃんと記録しているのも今の自分と全く変わらない(笑)
そんなわけで、18歳のバイク日本一周という体験が、まるで昨日今日のような感じで思い出せて楽しかったのだけど、よくこれがまだ残っていたなぁという驚きと、ちゃんとこういう日記やメモを残しておいた自分にものすごく感謝した。
当時やっていなかったら、後になって、まして今からこの当時を思い出したり、心境をつづるなんてのは不可能なわけで。
本当にミニサイズの手帳で、引き出しの奥深くにしまわれていたのが功を奏したが、ちゃんと捨てないでくれた両親にも感謝しなければならない。(もっとも、両親もこのメモの存在は全く知らなかったと思うけど)
今この現代に思うのは、こうやって手帳なりなんなりに旅の記録や、普段の日常についてだって、記録して残しておくというのはものすごく意味がある。
必ず何年後、何十年後に見返した時に、普段感じることのない大きな感情の動きがあるはずだから。
ただ、手帳とかってやっぱり物理的になくしてしまったり、捨ててしまったり、紙だから破れたり劣化もある。
なので、テキストやデータとしてハードディスク上に、あるいはクラウド上に残しておくのが一番だろう。
もちろん当時はそんなものなかったので出来なかったが、今ならそういうテクノロジーはいくらでもある。
しかも無料で。
写真やビデオも全くその通りだ。
このバイク旅の時の写真もほんの少し残っているが、当時はもちろんデジカメもスマホもなく、「写ル〇です」みたいなインスタントカメラ(懐かしすぎる!)で風景や出会った人との写真を撮っていた。
でもインスタントカメラだから、現像してみたら上手く取れていない写真も沢山あったり、そもそも撮る枚数だって一枚いくらでお金かかった時代だから、一か月間かけて日本縦断して、27枚とか39枚しか撮っていないのだ。動画なんてもちろん撮ってないし。
今から考えると信じられないよね?
最近そういうことをかなり考えていた時に、ちょうどこの手帳を見つけてしまったものだから、改めて自分がどこに行ったとか、何をしたとか、誰と会ったとか、そういうのは記憶以外にもちゃんと残した方がいいよなぁと強く感じた。
昔はそれをやるのにお金も、技術も、労力も大変掛かったので出来なくてしょうがなかったけれども。
今はそういう事が、昔の何百倍も手軽に、誰でも出来る。
早速、この旅日記の内容を全部テキストで起こしてクラウドに保存しようとしているのだけど、つくづく私ってマメというか暇人だなぁと思う(笑)

一昨日の日本代表対エルサルバドル戦に続いて、昨日の深夜は女子ワールドカップでのなでしこジャパン初戦があった。
来週からはコパ・アメリカも始まるし…毎日遅くまでサッカーを観ないといけない(いけなくはないけど)日が続く。
まるで去年のワールドカップの時みたい!思い出すわー。
とはいえここ最近は寝る時間もかなり早くなっていたので、正直深夜のテレビ観戦は相当辛いです…翌朝観るのでも全然いいんだけど、ウチに録画機器がないからねぇ。
そんな感じでサッカー三昧の日々は嬉しいのですが、一昨日と昨日の2戦はどちらも内容的にはもう一歩という感じで、決して大喜びするようなゲームではない。
久保君さんの代表デビューは非常に良かったけれどもね。
昼間はやることやって、早めに寝てから深夜に起きてサッカーを観る。
そんな規則正しい生活がしたい。
来週からはコパ・アメリカも始まるし…毎日遅くまでサッカーを観ないといけない(いけなくはないけど)日が続く。
まるで去年のワールドカップの時みたい!思い出すわー。
とはいえここ最近は寝る時間もかなり早くなっていたので、正直深夜のテレビ観戦は相当辛いです…翌朝観るのでも全然いいんだけど、ウチに録画機器がないからねぇ。
そんな感じでサッカー三昧の日々は嬉しいのですが、一昨日と昨日の2戦はどちらも内容的にはもう一歩という感じで、決して大喜びするようなゲームではない。
久保君さんの代表デビューは非常に良かったけれどもね。
昼間はやることやって、早めに寝てから深夜に起きてサッカーを観る。
そんな規則正しい生活がしたい。

毎日色々な事件やニュースがありますが、ショッキングな映像や出来事だったり、胸を痛めるようなことが最近は多い気がしています。
出かけていた間もそのような事が沢山あり、自然の中にいると最低限の情報しか得られなかったけれど、テレビやネット環境のある所に戻ってくると、それこそ洪水のようなそういう情報にさらされる事となる。
海外にいる時のように、ほとんどを遮断できればいいのだけれど…なかなか、ね。
また人間は不思議なもので、そういう環境に身を置いてもなお、今日は自分の住んでいる所で何があったか?という事を気にするものです。
自分と関係のある出来事であれば当然だけれど、自分の住んでいる東京で何があったか、日本で何があったかというのは、ほとんどが自分とは無関係のはず。
それでもやっぱり気になる。本当に不思議。
いや、良いニュースや楽しい話なら全然いいのよ。
全ての情報を絶って仙人のように生きたい、と思っている訳ではない。
ただ、そうじゃない情報の方が圧倒的に多いような?自分のアンテナの方向のせいなのか。
楽しい、嬉しい、良いニュースが身近にあれば、それを知りたいです。
出かけていた間もそのような事が沢山あり、自然の中にいると最低限の情報しか得られなかったけれど、テレビやネット環境のある所に戻ってくると、それこそ洪水のようなそういう情報にさらされる事となる。
海外にいる時のように、ほとんどを遮断できればいいのだけれど…なかなか、ね。
また人間は不思議なもので、そういう環境に身を置いてもなお、今日は自分の住んでいる所で何があったか?という事を気にするものです。
自分と関係のある出来事であれば当然だけれど、自分の住んでいる東京で何があったか、日本で何があったかというのは、ほとんどが自分とは無関係のはず。
それでもやっぱり気になる。本当に不思議。
いや、良いニュースや楽しい話なら全然いいのよ。
全ての情報を絶って仙人のように生きたい、と思っている訳ではない。
ただ、そうじゃない情報の方が圧倒的に多いような?自分のアンテナの方向のせいなのか。
楽しい、嬉しい、良いニュースが身近にあれば、それを知りたいです。

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