いま気が付いたけど、引退から解散と続くblogのタイトルもどうかと思う。(笑)
普通は解散→引退の順番だろうに…ってそこじゃない!?
時を同じくして、先週から色々考えることがあり、仕事にも音楽にもなかなかモチベーションが保てない。
僕も引退の期日を決めた方がもう少し身が入るんじゃないかとか、いやそもそも今が現役=引退してないって言えるのか、とか。
仮に今モチベーションが持てないとしても、自分自身の捉え方や考えを変えることで、歩みを止めずに進むことは出来る。
それをせずに本当にここで立ち止まってしまったら、そこから先はどうなってしまうんだろう??
などなど。
最近何かで読んだのですが、1年以上先のことを見据えて、それを動機として今行動するというのは本来動物に備わっていないらしいです。そういう風に考える脳の仕組みや遺伝子情報がない。もちろん人間にも。
だけど人間だけが、そういう事が可能であると思い込んで(勘違いして?)色んな予測を立てたり、目標を持ったりする。
だからどこかで「これって本当に出来るの?それは正しい方法?」と本能的に疑問を持ってしまう。
スポーツ選手や科学者、色々なジャンルにおいて「小さいころから何年も目標や将来のビジョンに向けて努力し続けた人」は沢山います。
そういう人たちがみんな、何十年後の自分を想像してそれをモチベーションにやってきたかというと、実はそうでもない。(そういう風に勘違いしている場合はある)
もっと短期的な、例えば一年以内に行われる試合やコンテストに勝つという目標に向けて今月は〇〇をやる、その為には今週△△をやる、そのためには今日あれとあれを練習して…という風にどんどん目標を細分化させて、短期間にすることで、結果的に何年も努力やモチベーションが維持できる。
10年後にプロ選手になるために、今日の練習は出来ない(出来るけどしっくりこない)、という話。
安室さんが「ちょうど1年後」に引退するのは多くの人にとって「筋が通っている」ように感じるわけです。さらに1年間の間にきっと色々なことをしてくれるんじゃないかという、ポジティブな印象を抱かせる効果もある。
これが年内とか今月中となると「何かやらかしたんじゃないか?」と途端にネガティブな疑問を持つようになるし、逆に2年後とか2018年末(1年3か月後)だとしても「はぁ?」となってしまう。
なぜなら期間が長すぎて多くの人が本能的にイメージ出来ない=しっくりこないから。
今回の解散総選挙が「はぁ?」って思うのも、多分この「(2019年の消費税って言われても…)」っていう本能の部分じゃないかと思う(笑)
そういうことを意識すると、仮にいま先の目標がないとか、漠然と将来が不安だとしても、それが人間の脳や遺伝子的には正常であること、それに対してもっと短期間でやるべき事をみつけてそれをやればいい、と考えられるんじゃないかと思うのです。
まさに今日、この日にやるべきこと(もちろん今日中に片付くこと)を一つか二つやればいいんだよね。
何年も先のことなんて考えなくていい、今を生きなさいと、神様がプログラムしたのだと思えば、少しは持ち直せる気がします。
普通は解散→引退の順番だろうに…ってそこじゃない!?
時を同じくして、先週から色々考えることがあり、仕事にも音楽にもなかなかモチベーションが保てない。
僕も引退の期日を決めた方がもう少し身が入るんじゃないかとか、いやそもそも今が現役=引退してないって言えるのか、とか。
仮に今モチベーションが持てないとしても、自分自身の捉え方や考えを変えることで、歩みを止めずに進むことは出来る。
それをせずに本当にここで立ち止まってしまったら、そこから先はどうなってしまうんだろう??
などなど。
最近何かで読んだのですが、1年以上先のことを見据えて、それを動機として今行動するというのは本来動物に備わっていないらしいです。そういう風に考える脳の仕組みや遺伝子情報がない。もちろん人間にも。
だけど人間だけが、そういう事が可能であると思い込んで(勘違いして?)色んな予測を立てたり、目標を持ったりする。
だからどこかで「これって本当に出来るの?それは正しい方法?」と本能的に疑問を持ってしまう。
スポーツ選手や科学者、色々なジャンルにおいて「小さいころから何年も目標や将来のビジョンに向けて努力し続けた人」は沢山います。
そういう人たちがみんな、何十年後の自分を想像してそれをモチベーションにやってきたかというと、実はそうでもない。(そういう風に勘違いしている場合はある)
もっと短期的な、例えば一年以内に行われる試合やコンテストに勝つという目標に向けて今月は〇〇をやる、その為には今週△△をやる、そのためには今日あれとあれを練習して…という風にどんどん目標を細分化させて、短期間にすることで、結果的に何年も努力やモチベーションが維持できる。
10年後にプロ選手になるために、今日の練習は出来ない(出来るけどしっくりこない)、という話。
安室さんが「ちょうど1年後」に引退するのは多くの人にとって「筋が通っている」ように感じるわけです。さらに1年間の間にきっと色々なことをしてくれるんじゃないかという、ポジティブな印象を抱かせる効果もある。
これが年内とか今月中となると「何かやらかしたんじゃないか?」と途端にネガティブな疑問を持つようになるし、逆に2年後とか2018年末(1年3か月後)だとしても「はぁ?」となってしまう。
なぜなら期間が長すぎて多くの人が本能的にイメージ出来ない=しっくりこないから。
今回の解散総選挙が「はぁ?」って思うのも、多分この「(2019年の消費税って言われても…)」っていう本能の部分じゃないかと思う(笑)
そういうことを意識すると、仮にいま先の目標がないとか、漠然と将来が不安だとしても、それが人間の脳や遺伝子的には正常であること、それに対してもっと短期間でやるべき事をみつけてそれをやればいい、と考えられるんじゃないかと思うのです。
まさに今日、この日にやるべきこと(もちろん今日中に片付くこと)を一つか二つやればいいんだよね。
何年も先のことなんて考えなくていい、今を生きなさいと、神様がプログラムしたのだと思えば、少しは持ち直せる気がします。

この一週間も日本、海外で様々なニュースがあったけれど、音楽(業界)的に大きなニュースと言えば、やっぱり安室奈美恵の引退宣言になるだろうか。
現役の人気アーティストが、特に問題や騒動を起こしたわけでもなく、自らの意志で完全引退を決める、というのは僕にとっても大きな驚きがあった。
発表から数日経っても、引退を惜しむ声はもちろん、さまざまな意見や周辺の声が伝えられているが、大方の人の考えと同じく(?)長い期間のアーティスト活動に対するリスペクトと労い、そして引退後の新たな人生がさらに素敵なものになるようにと、僕も思っている。
なんというか…特にオチや結論があるわけではなく、今回のことで思ったことをそのまま書くけれど。
滅多にないことだから多くの人が驚いたけれど、今やっている仕事を自分の中でやり切った思いがあって、これからは新たな場所で新たな人生を始めたい、その為に「引退」を自分で決めるというのは、全然おかしなことではない。
単純に、もう十分やってきたから(休暇ではなく)休みたい、他のことをやりたい、という理由だったとしても、それは正常なことだと思う。
今回の引退の本当の理由はもちろん本人にしか分からないけれど、どんな理由であれ安室さん本人が引退を決めたことに否定的な意見を持つ人や、難癖をつける人はほとんどいないだろう。
悲しい、というのも何か違うと思うんだよね…悲しいかな??
SMAPの解散は僕も悲しいけれど、安室さん引退は全く悲しいと思わない。それは僕がSMAPのファンで、安室さんのファンじゃないから、では決してない。
この微妙な違い…どちらもこの先の活動が見られないという事実だけど、この何とも言えない心理の違いに自分でもモヤモヤする。笑
40歳という年齢で引退を決める、ということにも色々意見がある。
早すぎるという人もいれば、自分も同じように(今の仕事を)引退したいという人もいる。
これがスポーツ選手なら、ごく普通のことというかむしろかなり長く現役で活躍した方だが、アーティストや歌手となると、まだまだこの先もキャリアを築くことが出来るし、人気は全く衰えていないのだから勿体ない、という風に思われるのだろうか。
安室さん以外のアーティストが同じことをしたらどうなのか。もっと若かったり、もっと歳をとっていれば違う反応になるのか。
僕が安室さんと同じ歳で引退するとしたらまだ数年あるが、仮にそんなことをしたらまた全然違う反応になるだろう。
やり切ったから引退する、という本人の気持ちは同じでも。
考えれば考えるほど、今回の引退宣言は「ごく自然なこと」のように僕は思えてくるのだけど、これだけニュースになるということはやはり一般的にはそうではないのだろう。
芸能人やスポーツ選手のような特殊な例ではなく、普通に企業や組織で、フリーランスで働く人の多くが「自分で自分の引退を決められない」のは何故だろうか。
「定年」という社会や世間が決めたポイントより前に今の仕事を引退すると、色々と言われたりする(恐らくはネガティブな反応がある)のは何故だろう。
いつまで今の仕事をするのか、いつ「引退」するのかは、働く多くの人にとってずっとあるトピックではあるけれど、今回の引退発表はそれについて改めて考える機会になったと思います。
現役の人気アーティストが、特に問題や騒動を起こしたわけでもなく、自らの意志で完全引退を決める、というのは僕にとっても大きな驚きがあった。
発表から数日経っても、引退を惜しむ声はもちろん、さまざまな意見や周辺の声が伝えられているが、大方の人の考えと同じく(?)長い期間のアーティスト活動に対するリスペクトと労い、そして引退後の新たな人生がさらに素敵なものになるようにと、僕も思っている。
なんというか…特にオチや結論があるわけではなく、今回のことで思ったことをそのまま書くけれど。
滅多にないことだから多くの人が驚いたけれど、今やっている仕事を自分の中でやり切った思いがあって、これからは新たな場所で新たな人生を始めたい、その為に「引退」を自分で決めるというのは、全然おかしなことではない。
単純に、もう十分やってきたから(休暇ではなく)休みたい、他のことをやりたい、という理由だったとしても、それは正常なことだと思う。
今回の引退の本当の理由はもちろん本人にしか分からないけれど、どんな理由であれ安室さん本人が引退を決めたことに否定的な意見を持つ人や、難癖をつける人はほとんどいないだろう。
悲しい、というのも何か違うと思うんだよね…悲しいかな??
SMAPの解散は僕も悲しいけれど、安室さん引退は全く悲しいと思わない。それは僕がSMAPのファンで、安室さんのファンじゃないから、では決してない。
この微妙な違い…どちらもこの先の活動が見られないという事実だけど、この何とも言えない心理の違いに自分でもモヤモヤする。笑
40歳という年齢で引退を決める、ということにも色々意見がある。
早すぎるという人もいれば、自分も同じように(今の仕事を)引退したいという人もいる。
これがスポーツ選手なら、ごく普通のことというかむしろかなり長く現役で活躍した方だが、アーティストや歌手となると、まだまだこの先もキャリアを築くことが出来るし、人気は全く衰えていないのだから勿体ない、という風に思われるのだろうか。
安室さん以外のアーティストが同じことをしたらどうなのか。もっと若かったり、もっと歳をとっていれば違う反応になるのか。
僕が安室さんと同じ歳で引退するとしたらまだ数年あるが、仮にそんなことをしたらまた全然違う反応になるだろう。
やり切ったから引退する、という本人の気持ちは同じでも。
考えれば考えるほど、今回の引退宣言は「ごく自然なこと」のように僕は思えてくるのだけど、これだけニュースになるということはやはり一般的にはそうではないのだろう。
芸能人やスポーツ選手のような特殊な例ではなく、普通に企業や組織で、フリーランスで働く人の多くが「自分で自分の引退を決められない」のは何故だろうか。
「定年」という社会や世間が決めたポイントより前に今の仕事を引退すると、色々と言われたりする(恐らくはネガティブな反応がある)のは何故だろう。
いつまで今の仕事をするのか、いつ「引退」するのかは、働く多くの人にとってずっとあるトピックではあるけれど、今回の引退発表はそれについて改めて考える機会になったと思います。

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- まだまだ頑張る土曜日
- 引退
- 時間と創作
今週末は3連休、そう思うと自然と気持ちがリラックスして仕事にもモチベーションが出てくる。
今日中にいまやっているやつを終わらせて、のんびりするぞ~。
完璧や100点満点を目指していたら、当然今日中には終わらないだろうし、連休もそれに掛かりっきりになってしまう。
分かっていても、以前はそういうことがよくあった。
今はそうじゃなくて、80点ぐらいで今日中に終えれば、週末のんびりすることも出来るし、新たな仕事をやることも出来る。要するに選択肢が増えるわけだ。
80点と100点の間の20点は、作っている本人からすれば非常に大きな差であるけれども、その曲を聴く人や受け手にとっては、それほど大きな差ではない場合も多い。
本人以外、ほとんどの人がその20点部分の差に気が付かない場合もあるだろう。
ここら辺をどう捉えるかが、長く音楽制作をやっていく時にとても重要だと最近思うようになった。
まぁ作ってる本人が80点でいい、ってなかなか言えないよね。「アーティスト」とかになっちゃうと特に。
でもね、その20点に延々とこだわるのか、そこを切り上げて(筆を置く、とも言うね)出来た時間でさらに次の音楽を作るのかは、アーティストにとってこそ大事だと思う。
今日中にいまやっているやつを終わらせて、のんびりするぞ~。
完璧や100点満点を目指していたら、当然今日中には終わらないだろうし、連休もそれに掛かりっきりになってしまう。
分かっていても、以前はそういうことがよくあった。
今はそうじゃなくて、80点ぐらいで今日中に終えれば、週末のんびりすることも出来るし、新たな仕事をやることも出来る。要するに選択肢が増えるわけだ。
80点と100点の間の20点は、作っている本人からすれば非常に大きな差であるけれども、その曲を聴く人や受け手にとっては、それほど大きな差ではない場合も多い。
本人以外、ほとんどの人がその20点部分の差に気が付かない場合もあるだろう。
ここら辺をどう捉えるかが、長く音楽制作をやっていく時にとても重要だと最近思うようになった。
まぁ作ってる本人が80点でいい、ってなかなか言えないよね。「アーティスト」とかになっちゃうと特に。
でもね、その20点に延々とこだわるのか、そこを切り上げて(筆を置く、とも言うね)出来た時間でさらに次の音楽を作るのかは、アーティストにとってこそ大事だと思う。

カナダの大自然の中で過ごしていた間、半ば強制的に「インターネットからの情報ダイエット」をすることになった。
要するに、ネット経由での様々なニュースを見ない、聞かない生活をしばらく続けていたのだけど、今帰国してみるとやっぱり快適だったなぁと思う。
現地ではとにかくネットにつながる環境になくて、たまに繋がった時もかなり回線速度が遅かったので、とりあえずメールチェックだけして何もトラブルが起きていなければスマホをポイっとする時も多かった。
いわゆるメールマガジン等は読んでいないので、自ら日本語のニュースサイトにアクセスしない限りは、現地で日本の情報が入ってくることはほとんどない…ていうかテレビでは一回もなかったかな?あんまりちゃんとTVニュースを見ていたわけじゃないけど。
僕が向こうに行っている間、速報で知りたかったニュースは「北朝鮮のICBM発射、日本領空を通過してJアラートが発令した」という一件のみだったと個人的には思う。
サッカー日本代表のW杯出場決定とか、眞子様の婚約会見も大変おめでたいニュースだが、速報で知る必要はないと思うし。
あとは…24時間テレビのマラソンとか、芸能人が結婚したとか炎上したとかいうのは全く知る必要がない。
日本に帰ってきてもその生活を続けられたらいいんだけど、やっぱり難しい。
メールチェックするにも、このblogを書くにもPCを立ち上げなきゃいけないし、メールアプリやブラウザ立ち上げた時点で日本語の情報ってのは沢山入ってきちゃうんだよね…まぁついサイトを観ちゃう自分も勿論悪い。
情報やニュースって、ほとんどのものは自分にとって不必要で、それによって自分の脳や心が疲労したり、判断力や集中力をそがれているってのは重々分かっているんだけど、やっぱり都会に生活して、ネットもテレビもそばにあるような環境にいるとそれを意識的にシャットアウトするのはかなり難しいと思う。
僕なんかどこにも出かけないで一日中自室にこもっていられるけど、仕事や学校で必ず外に出ないといけない場合がほとんどだから、そうなるともっと難しい(ほとんど不可能?)だよね。
でもやっぱり、カナダにいた時はほんと快適だったんだよなぁ。気候もあるけど、視覚と聴覚の両方がすごくリラックスしていた。
そうそう、旅の最中音楽もほとんど聞かなかったから、耳から入る情報もやっぱり少なかった。向こうはレストランにしてもスーパーにしても、BGMって流さないからね。
あとは現地の人との会話ぐらいだけど、まぁ言ってることの半分くらいしかよく分からないし(笑)
要するに、ネット経由での様々なニュースを見ない、聞かない生活をしばらく続けていたのだけど、今帰国してみるとやっぱり快適だったなぁと思う。
現地ではとにかくネットにつながる環境になくて、たまに繋がった時もかなり回線速度が遅かったので、とりあえずメールチェックだけして何もトラブルが起きていなければスマホをポイっとする時も多かった。
いわゆるメールマガジン等は読んでいないので、自ら日本語のニュースサイトにアクセスしない限りは、現地で日本の情報が入ってくることはほとんどない…ていうかテレビでは一回もなかったかな?あんまりちゃんとTVニュースを見ていたわけじゃないけど。
僕が向こうに行っている間、速報で知りたかったニュースは「北朝鮮のICBM発射、日本領空を通過してJアラートが発令した」という一件のみだったと個人的には思う。
サッカー日本代表のW杯出場決定とか、眞子様の婚約会見も大変おめでたいニュースだが、速報で知る必要はないと思うし。
あとは…24時間テレビのマラソンとか、芸能人が結婚したとか炎上したとかいうのは全く知る必要がない。
日本に帰ってきてもその生活を続けられたらいいんだけど、やっぱり難しい。
メールチェックするにも、このblogを書くにもPCを立ち上げなきゃいけないし、メールアプリやブラウザ立ち上げた時点で日本語の情報ってのは沢山入ってきちゃうんだよね…まぁついサイトを観ちゃう自分も勿論悪い。
情報やニュースって、ほとんどのものは自分にとって不必要で、それによって自分の脳や心が疲労したり、判断力や集中力をそがれているってのは重々分かっているんだけど、やっぱり都会に生活して、ネットもテレビもそばにあるような環境にいるとそれを意識的にシャットアウトするのはかなり難しいと思う。
僕なんかどこにも出かけないで一日中自室にこもっていられるけど、仕事や学校で必ず外に出ないといけない場合がほとんどだから、そうなるともっと難しい(ほとんど不可能?)だよね。
でもやっぱり、カナダにいた時はほんと快適だったんだよなぁ。気候もあるけど、視覚と聴覚の両方がすごくリラックスしていた。
そうそう、旅の最中音楽もほとんど聞かなかったから、耳から入る情報もやっぱり少なかった。向こうはレストランにしてもスーパーにしても、BGMって流さないからね。
あとは現地の人との会話ぐらいだけど、まぁ言ってることの半分くらいしかよく分からないし(笑)
