Aの衝撃
久しぶりにblogを更新します。毎日毎日書かないとな~と思いながらも全然ペンが(この場合キーボードですが…)進まない。そういう時ってありますよね。





今の仕事をしていると、頻繁にというわけではないけれども年に何回か、信じられないくらいビッグネームの人と知り合ってご一緒する機会があります。こういうのって本当に不思議なもので、自分が子供の時に聴いて、憧れていたような音楽関係の人と「突然」会ったりする機会があるんですよね。もちろん街角でばったり会うわけじゃなくて、仕事で会うんですけど。

今の僕の立場上、アーティストご本人ではなくて(本人の場合もたま~にありますが)、そのプロデューサーさんとか、一緒にやられてるエンジニアさんが多いのですが、僕的にはご本人と会うよりも「あの曲/アルバムを作った人だ!」ていう感覚がやっぱりあるので、緊張もするし、ホント身に余る光栄って感じです。だって全然自分自身はそこに追いついていると思えないから。

作曲家の人やアレンジャーの人ってのはその最たるもので、表舞台には出てこないかもしれないけど、「その曲を作った張本人」なわけじゃないですか。街ですれ違ってもそれこそ分からないけど(笑)、この人が○○の曲を作ったのか~と思うと、なんかもの凄いオーラを感じるというか、ただ雰囲気や存在感がすごいだけじゃなくて、実際にお話してみて、初めてその凄さが分かるわけです。





先日お会いした作曲家・アレンジャーの人も凄かった。名前を仮にAさんとしておきましょう。Aさんのスタジオに行って、まぁ遊びみたいな感じでちょこちょこ作業したり、音楽制作について色々と話をしてきたんですが、やっぱり知識と技術を併せ持ってる人は音楽つくりに対する考え方というか、切り込み方が独特で深いんですよね。そのAさんの音楽に対する情熱、姿勢みたいなのは僕には全然ないものでした。

知識、技術、経験、センスetc...どんなジャンルでも割と一緒くたになって「キャリアがある」みたいな感じに思われるけど、それらは全然別物なんですよね。例えば僕なんかだと、「知識」はやたらとある。古いものから新しいものまで。でもそれって音楽の仕事をやる上では単なる「情報屋」にすぎないわけで、技術のある人、センスのある人には全然かなわないなぁと思うことがしばしばあります。

特に「センス」なんて、あまりに抽象的すぎてなんだか説明も出来ないけれど、それでも音楽って聴いた瞬間に「これはセンスあるなぁ」とか「センスないなぁ」て判断できるし、判断されちゃうもの。肝心の「センス」が何か分からないけれど、「センスの有無」は分かる。これって未だにすごく不思議で、たまにAさんのような本当に「センスのある人」に出会うと、自分はセンスが無いな~と痛感します。

まぁ全部を持ち合わせてたらそれこそ「天才」なのかもしれません。そういう天才肌の人が諦めずに長い間音楽を作り続けて「経験」も蓄積していったら、それこそ最高の「キャリア」になりますよね。人数は多くないけど、そういう人は確実に何人かいます。そういう人とたまーに出会う機会が僕にもあるわけです(笑)。何年か前には考えられなかったな。





何年か前のバンドやってた頃は、そういう人と出会うことも、そもそもそういう人がいるって事もほとんど考えた事がなかった。自分が最高だろって思ってた節もあったし。それは若かったからかもしれないけど、そもそも出来上がったCDや曲だけ聴いててもそういう人の存在ってそんなに意識できないんですよね。実際に会って、話して、手の内が見えてくると「すげぇ!」て実感する。

そういう凄い人に出会うことで「いつかは自分も」と発奮するタイプと、「それに比べて自分は…」と意気消沈してしまうタイプと、両方あるかと思いますが、自分はどっちなんだろうなー。少なくとも「前者です」と断言出来る強さは持っていない。どちらかといえば後者の心境になるんだけど、意気消沈しながらも家に帰ってからまたウジウジやり始めるタイプじゃないでしょうか(笑)。

音楽もそうだし、全てのアートやクリエイティブって「正解」がない。答えがないものを延々自分で考えて作り出さなきゃいけないから、継続してやり続けるのはそれこそ「才能」なんですよ。知識、技術、演奏力なんかよりも遥かにその才能の方が大事。「諦めず、飽きずにやり続ける」事が一番難しいと僕は思います。だってやってもやっても答えがないんだから。

Aさんは多分そういうのを超越してて、そもそもあんまりそういうことを考えずにバシバシやってるんじゃないだろうか。曲一つ作るにしても、あれはどうだろう、これはどうだろう、って感じでとにかくレスポンスが早い。しかも「どうだろう」って言うのは正解が分からないんじゃなくて、これが自分にとっての正解なんだってものを確実にテーブルに出してくる。

思い切りの良さ、自分に対する自信、技術・経験の裏づけとか、そういうものが全部一緒になって初めて、ああいう音楽制作が出来るんだろうなって思いました。とか言いながらそれが分かった時は内心ものすごい衝撃だったんですけど(笑)。僕が「これはどうだろう?」て誰かに言う時は、大抵自信がないから選択肢を相手に提案してるだけで、決して「正解」を並べてるわけじゃないんですよね。

正解はないんじゃないの?て思うかもしれないけど、それは「絶対的な正解」はないということで、それぞれの人の、それぞれの気持ちのなかには「これが正解じゃないか」というものがきっとある。ただ、それを他人にすばやくバーンとは提示できない。普通は出来ないと思うんですよ。「それは違うだろう~」って言われるのが怖いから。

それでもやらなきゃいけないのが仕事のツラい所で、日々色々な所で色々な人が自分の中で必死にひねり出した物を他人に提案して、それをにべも無く断られたりしてると思うのですが、そんなことでは動じない人、そもそも断わられたと思うことさえなく次のAlternativeを打ち出せる人が、「才能のある人」として認められていくんだと思う。それこそAさんのように。





今書いてて気付いたのは、そういう凄い人にここ数年急に出会えるようになったのは、自分がレベルアップしてるからじゃなくて、どちらかというとそういう人達がこちらに降りてきてくれてるからじゃないかと思うのです。多少は自分のレベルも上がってて欲しいけど、むしろネットのせいで情報や経験というのがどんどん均一化されてきてて、もの凄い人達との接点が以前より増えているのを感じます。

TwitterとかSNSも、芸能人有名人と気軽にネット上のお友達・お知り合いになれますが、それって一昔前じゃ考えられない事ですよね。言ってみればバーチャルだからそのままだと何も変わらないように見えるけど、その繋がりをリアルに変える何かアイディア、接点を持てれば、それこそ本当のお知り合いに誰だってなれる。これは素晴らしいことでもあり、怖いことでもあるけど。

みなさんも経験あるかと思いますが、本当に凄い人って腰がめちゃめちゃ低い。目上、目下関係なくとても丁寧かつ好印象なコミュニケーションを取ろうとする人が多いです。だからそういう人たちがネットというツールを使うと、どこまででも降りてくる。「降りてくる」っていうのはレベルを下げるっていう意味じゃなくて、文字通り誰とでも分け隔てなく接しようとする。

そういう人の周りには自然と人も集まるし、仕事も集まるんだろうなという気はします。これは僕の持論ですが、悪い話は広まりやすいけど、印象に残りにくい。逆に良い話は広まりにくいけど、印象に残りやすい。ネットなんかだと特に、悪い話ほど拡散しやすいですがもうそんなの慣れっこなのでいちいちずっと覚えてたりしません。逆に良い話はなかなか出会えないぶん、長く覚えていたりする。

本当に凄い人はみな人格も素晴らしい人、という僕の仮説が正しいとすると、そういう人はネットによって今まで以上にその凄さが多くの人に伝わって、良い出会いや仕事が増えるのかもしれません。出会いや仕事が増えたことで、僕みたいなしがない「情報屋・知識屋」の人間とも知り合う事になったのかな、と。ま、これはきっと良い出会いだったと信じていますけど(笑)。





というわけで、出会いは色んな事を気付かせてくれるなっ。今日書いたような事を最近つくづく感じているので、今年の僕の目標は「脱・知識屋」なんですが(笑)、なかなかああいう人達の高みまでは遠い道のりです。。。誰かに(良い意味での)衝撃を与えるような音楽人にいつかなりたいな。技術も身につけて、センスを磨いて、ちょっとずつ経験を積み重ねていこう。知識や情報は商売するには便利だけれど、それで人間を磨くことは出来ないよ、きっと。
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