1を書いてみて思ったのだが、改めて記憶があやふやだな~(笑)。話の前後が行ったりきたりだし…なので細かい所はそんなに気にしないで読んで下さいm(__)m
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2ndSingleを無事リリース出来た10月の初め、バンドミーティングの議題は専ら次のリリースに関する事だった。
ちなみに話は逸れるが、インディーズであれなんであれ、一般的にバンドのスケジュールは大体三ヶ月くらいの先取りで動くのが望ましいとされている。ライブならその本番の日の2、3ヶ月前に発表するわけだから、実際にはさらにそこから三ヶ月前、つまり約半年弱前にはスケジュールを押さえているのが望ましい。CDリリースも同じで、発売日の三ヶ月前にはレコーティングを終えてサンプル盤が出来ているのが理想…まぁなかなか難しいんだけれどね(笑)。でもそれをきちっと出来てるアーティストほど、結局は長く続けていける事が多い。
9月末に2ndSingleを出した時点で、年内もう一枚のリリースは時間的に難しかった(実はそういう話もあったのだけれど)。必然的に、年が明けてからのアルバムリリースを念頭に考えなくてはならなかった。実際の所、楽曲はたくさんストックがあったし、新曲も各自常日ごろからに書いていた。さっきの三ヶ月前ルールでいけば、夏の時点で次のアルバムを作るだけの曲は用意していたし、それはバンド結成より当たり前のようにやってきた事のはずだった。
だけれどこの時、バンドは新しいアルバムの制作に踏み出す事が出来なかった。それが何故なのか、上手く説明する事は難しい。きっと各自が考えていた事も微妙に異なるだろうし、少なくとも僕は新しいアルバムをこんな風にしよう、というアイディアを見出だせなかった。この頃からバンドには微妙な焦りや、何とも言えない切迫感があった。締め切りやスランプにと戦う焦りではなくて、逆にそういったものが感じられない事に対する焦りだったんだろうね。
一方で僕はそんな時期でもひとり勝手な制作作業を続けていた。
呑気なものである。というか逆に開き直りの部分もあったのだろう。
バンドに対して、新たな方向性やモチベーションを提示する事が出来ず、その分俺は個人で能力を磨いて、次なる制作の時には思いっきりみんなをリードしてやろうという、ちっちゃな虚勢を張っていた。
今にして思えばその時に試行錯誤していたのは、パンクやパワーポップのようなGuitarメインでkeyが一度も出てこない曲ばっかり作ってたし、かと思えばフルートやオーボエなどを多用して木管室内楽みたいな曲も作ったりして、いずれにしてもバンドでの演奏に全く適したものではなかった(笑)。あと女性のキーで歌った自分の声をボイスチェンジャーでぐいっと上げて、女性Vo風の曲を作るのもこの時期よくやっていたなぁ。
そんな僕の"たくさんやってるフリ"を他のメンバーはきっと見抜いていただろう。いわゆるメンバー内での"新曲発表会"はこの時期何度かあった。みなそれぞれにちゃんと新曲を書いていたし、中には良いじゃんと思える新曲も確かにあった。それでもまだ、アルバムを作ろうという言葉は誰からも聞かれなかった。どんなアルバムにするのか、その舵取りを誰もが躊躇っているような停滞した空気が漂っていた。
そんな状況を打開するべく、口火を切ったのはドラムのakiyukiだった。当面11月から始まる2マンツアーを前に、そこで新曲をやるべきだというのが彼の提案だった。どうせやるなら一曲だけでなく、各会場で披露するくらいの曲数が欲しい。早急にアレンジをして完成させ、練習にはいらなければいけない、と。これには他のメンバーも同意し、今までのストックの中からツアー用に何曲かがピックアップされた。アルバム制作には乗り切れなかった僕も、これはなんとかやりきらなければならなかった。今まで通りのやり方では間に合いそうになかったので、こちらも急遽メンバーで長野に合宿して、泊まり込みの制作をする事になった。
思えばメンバー揃って一緒に曲作りをするなど、バンド初期以来の事ではなかったかな?少なくとも僕にはそのぐらい珍しい事に感じられた。前もっての準備もそこそこに、僕らは真夜中の中央高速を西へとひた走った。
周りの風景も行き先も、まだなに一つ見えていないままだった。
(続く)
(う~ん、2,3回でまとめるつもりが、めっちゃ長いぞ…どうしよう)
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2ndSingleを無事リリース出来た10月の初め、バンドミーティングの議題は専ら次のリリースに関する事だった。
ちなみに話は逸れるが、インディーズであれなんであれ、一般的にバンドのスケジュールは大体三ヶ月くらいの先取りで動くのが望ましいとされている。ライブならその本番の日の2、3ヶ月前に発表するわけだから、実際にはさらにそこから三ヶ月前、つまり約半年弱前にはスケジュールを押さえているのが望ましい。CDリリースも同じで、発売日の三ヶ月前にはレコーティングを終えてサンプル盤が出来ているのが理想…まぁなかなか難しいんだけれどね(笑)。でもそれをきちっと出来てるアーティストほど、結局は長く続けていける事が多い。
9月末に2ndSingleを出した時点で、年内もう一枚のリリースは時間的に難しかった(実はそういう話もあったのだけれど)。必然的に、年が明けてからのアルバムリリースを念頭に考えなくてはならなかった。実際の所、楽曲はたくさんストックがあったし、新曲も各自常日ごろからに書いていた。さっきの三ヶ月前ルールでいけば、夏の時点で次のアルバムを作るだけの曲は用意していたし、それはバンド結成より当たり前のようにやってきた事のはずだった。
だけれどこの時、バンドは新しいアルバムの制作に踏み出す事が出来なかった。それが何故なのか、上手く説明する事は難しい。きっと各自が考えていた事も微妙に異なるだろうし、少なくとも僕は新しいアルバムをこんな風にしよう、というアイディアを見出だせなかった。この頃からバンドには微妙な焦りや、何とも言えない切迫感があった。締め切りやスランプにと戦う焦りではなくて、逆にそういったものが感じられない事に対する焦りだったんだろうね。
一方で僕はそんな時期でもひとり勝手な制作作業を続けていた。
呑気なものである。というか逆に開き直りの部分もあったのだろう。
バンドに対して、新たな方向性やモチベーションを提示する事が出来ず、その分俺は個人で能力を磨いて、次なる制作の時には思いっきりみんなをリードしてやろうという、ちっちゃな虚勢を張っていた。
今にして思えばその時に試行錯誤していたのは、パンクやパワーポップのようなGuitarメインでkeyが一度も出てこない曲ばっかり作ってたし、かと思えばフルートやオーボエなどを多用して木管室内楽みたいな曲も作ったりして、いずれにしてもバンドでの演奏に全く適したものではなかった(笑)。あと女性のキーで歌った自分の声をボイスチェンジャーでぐいっと上げて、女性Vo風の曲を作るのもこの時期よくやっていたなぁ。
そんな僕の"たくさんやってるフリ"を他のメンバーはきっと見抜いていただろう。いわゆるメンバー内での"新曲発表会"はこの時期何度かあった。みなそれぞれにちゃんと新曲を書いていたし、中には良いじゃんと思える新曲も確かにあった。それでもまだ、アルバムを作ろうという言葉は誰からも聞かれなかった。どんなアルバムにするのか、その舵取りを誰もが躊躇っているような停滞した空気が漂っていた。
そんな状況を打開するべく、口火を切ったのはドラムのakiyukiだった。当面11月から始まる2マンツアーを前に、そこで新曲をやるべきだというのが彼の提案だった。どうせやるなら一曲だけでなく、各会場で披露するくらいの曲数が欲しい。早急にアレンジをして完成させ、練習にはいらなければいけない、と。これには他のメンバーも同意し、今までのストックの中からツアー用に何曲かがピックアップされた。アルバム制作には乗り切れなかった僕も、これはなんとかやりきらなければならなかった。今まで通りのやり方では間に合いそうになかったので、こちらも急遽メンバーで長野に合宿して、泊まり込みの制作をする事になった。
思えばメンバー揃って一緒に曲作りをするなど、バンド初期以来の事ではなかったかな?少なくとも僕にはそのぐらい珍しい事に感じられた。前もっての準備もそこそこに、僕らは真夜中の中央高速を西へとひた走った。
周りの風景も行き先も、まだなに一つ見えていないままだった。
(続く)
(う~ん、2,3回でまとめるつもりが、めっちゃ長いぞ…どうしよう)

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2005年の9月、僕は相も変わらず曲ばっかり作っていた。
バンドのHPが3年目を迎え、それを期にしたサイトのリニューアル。
自分も初めてblogを立ち上げて、また少し環境が変わった。
具体的に言えば、より自分の為に使える時間を貰う事が出来たのだ。
だからここぞとばかりに、その月は曲作りに当てる事が出来た。
けれどもそれは、ただそうした空き時間の変化だけではなかった。
その年の夏、バンドは初めて、大きな転機を迎える。
一番想像もしていなかった事こそ、ある日前触れも無く訪れるもの。
バンドのメンバーが一人いなくなることは、相当の喪失感を僕にもたらしていた。ライブどうしようとか、別のメンバーを探さなきゃとか、そういう実務的な事では全く無くて、ただ心にぽっかり穴が空いた様な気分だった。そうしたものを埋めるためにも、がむしゃらに曲作りをしていた部分もあったと思う。
その月の半ば、原宿で行ったワンマンライブは恐らく今まででも一番チャレンジングなステージだった。高いモチベーションで臨まなければいけなかったし、その成功に僕やバンドのメンバーはとても燃えていた。けれども今にして思えば、あのライブは初めて、本当の意味でメンバーを欠いた状態でやったライブだった。3年前、バンドの初ライブの時の緊張や興奮は今でも覚えているけれど、それに近いテンションがあったんだと思う。
なにせその日から、バンドは常に"サポート"を入れてライブしなければならなくなったからだ。それは僕にとって強いプレッシャーだった。それまでのように、バンドがあって、そこにサポートミュージシャンが加わるのではなく、メンバーもサポートも関係なく個々の出す音がしっかりしなければステージが成り立たないからだ。そんな当たり前のことさえ、その時の自分には不安や戸惑いを与えていた。
結果的に、去年の夏以降、僕は一回のライブで極端に消耗するようになった。勿論本番中は楽しんだり、集中していられるのだが、本番を迎える前日までのプレッシャーと、終った後の虚脱感が激しかった。それこそ気分だけは毎回ファイナルライブである。それはライブハウスでのステージだけでなくて、本来バンド形態での演奏ではない屋内でのイベントやストリートでの演奏もそうだった。まして自分の演奏があまり上手くいかなかった時など、気持ちの落ち方はハンパではなかった。今思うととっても情けないけれどもね。
そこから逃れるようにして、僕は曲つくりにのめり込んでいった。早い話が、逃げだ(苦笑)。幸いにもその時期は作曲意欲がすごく高まっていた時期で、自分にとっても渡りに船だった。ただ曲は出来るけれども、それをバンドで演奏するとなると、やっぱり怖い。いつもながらメンバーの厳しい耳でチェックされるのもあるが、それ以上に新曲をバンドで演奏することに個人的にビビッていた。そんな事よりも、純情BOYや世界中のマリアといった難曲(?)を練習しなければいけない。だからライブがある度に僕は必死で練習しながらも、隠れてコソコソ曲は作り続けていた。次回作に向けてストック、なんて格好いいもんではない。本当にコソコソやっていたのだ。
だからその時期に書いていた曲は、正直バンドに向いたものばかりではなかった。それじゃなんだかなーと当時から自分も分かっていたが、実際の所そんな弱っちい気分ではそれぐらいしか出来なかったのだ。そんな風にして始った去年の夏からのリスタートが、年を明けてから段々と形になってくるとは、その時の自分には少しも想像出来ない事だった。
夏に失くしたものを、どうにか埋めようとしていただけの秋だった。
(続く)
バンドのHPが3年目を迎え、それを期にしたサイトのリニューアル。
自分も初めてblogを立ち上げて、また少し環境が変わった。
具体的に言えば、より自分の為に使える時間を貰う事が出来たのだ。
だからここぞとばかりに、その月は曲作りに当てる事が出来た。
けれどもそれは、ただそうした空き時間の変化だけではなかった。
その年の夏、バンドは初めて、大きな転機を迎える。
一番想像もしていなかった事こそ、ある日前触れも無く訪れるもの。
バンドのメンバーが一人いなくなることは、相当の喪失感を僕にもたらしていた。ライブどうしようとか、別のメンバーを探さなきゃとか、そういう実務的な事では全く無くて、ただ心にぽっかり穴が空いた様な気分だった。そうしたものを埋めるためにも、がむしゃらに曲作りをしていた部分もあったと思う。
その月の半ば、原宿で行ったワンマンライブは恐らく今まででも一番チャレンジングなステージだった。高いモチベーションで臨まなければいけなかったし、その成功に僕やバンドのメンバーはとても燃えていた。けれども今にして思えば、あのライブは初めて、本当の意味でメンバーを欠いた状態でやったライブだった。3年前、バンドの初ライブの時の緊張や興奮は今でも覚えているけれど、それに近いテンションがあったんだと思う。
なにせその日から、バンドは常に"サポート"を入れてライブしなければならなくなったからだ。それは僕にとって強いプレッシャーだった。それまでのように、バンドがあって、そこにサポートミュージシャンが加わるのではなく、メンバーもサポートも関係なく個々の出す音がしっかりしなければステージが成り立たないからだ。そんな当たり前のことさえ、その時の自分には不安や戸惑いを与えていた。
結果的に、去年の夏以降、僕は一回のライブで極端に消耗するようになった。勿論本番中は楽しんだり、集中していられるのだが、本番を迎える前日までのプレッシャーと、終った後の虚脱感が激しかった。それこそ気分だけは毎回ファイナルライブである。それはライブハウスでのステージだけでなくて、本来バンド形態での演奏ではない屋内でのイベントやストリートでの演奏もそうだった。まして自分の演奏があまり上手くいかなかった時など、気持ちの落ち方はハンパではなかった。今思うととっても情けないけれどもね。
そこから逃れるようにして、僕は曲つくりにのめり込んでいった。早い話が、逃げだ(苦笑)。幸いにもその時期は作曲意欲がすごく高まっていた時期で、自分にとっても渡りに船だった。ただ曲は出来るけれども、それをバンドで演奏するとなると、やっぱり怖い。いつもながらメンバーの厳しい耳でチェックされるのもあるが、それ以上に新曲をバンドで演奏することに個人的にビビッていた。そんな事よりも、純情BOYや世界中のマリアといった難曲(?)を練習しなければいけない。だからライブがある度に僕は必死で練習しながらも、隠れてコソコソ曲は作り続けていた。次回作に向けてストック、なんて格好いいもんではない。本当にコソコソやっていたのだ。
だからその時期に書いていた曲は、正直バンドに向いたものばかりではなかった。それじゃなんだかなーと当時から自分も分かっていたが、実際の所そんな弱っちい気分ではそれぐらいしか出来なかったのだ。そんな風にして始った去年の夏からのリスタートが、年を明けてから段々と形になってくるとは、その時の自分には少しも想像出来ない事だった。
夏に失くしたものを、どうにか埋めようとしていただけの秋だった。
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すわ、早くも毎日更新の危機か!?と思いつつ、日付的にはちゃっかり毎日書いてる@nisaです。
それにしてもまともに更新してる時間もないなぁ。今日も一日スタジオなのですが、ちょっと集中力も落ちてきたので近くのコンビニへ夕飯のお買い物。東京タワーが霞んで見えます。
昨日すっかり触れ忘れたのですが、アルバムの詳細やツアー日程がいよいよ発表されました。ずらっと並んだアルバムの曲達、予想外だったり見当もつかない曲が多いと思います(笑)。ここ最近のライブに来てくれた人は、あの曲かーなんてわかったりもするかもしれませんが、そうでない人にもアルバム発売までに色々と想像して貰えるように、このblogでそれぞれ今回の制作話なんかを振り返って話してみようと思ってる。各曲のライナーノーツみたいなのじゃなくて、もっと個人的な回想みたいな文章になると思うけど…自分自身で記憶の紐を辿りつつね(俺、忘れっぽいからなー)
と言いつつ、あまりの忙しさにかまけて逃げちゃってる。。。ホント言うと、書いてる途中で収拾つかなくなったり、全然つまんない文章になっちゃうかもしれないのが怖いんだよね。まぁ普段の日記も全然つまんないんだけど(苦笑)、新しいアルバムまでそう思われたらマズいでしょ?だからちょっと躊躇している。
と、そうは言っても発売日は近づいてくるので、いっちょ今夜くらいに、スタジオから帰って書いてみようと思います。んではまた。

おはようございます@nisaです。
しかしなんちゅー時間に日記更新してるんだ(笑)
色々考えてたら眠れなくなってしまってね。
今日は午後からスタジオにて作業です。
昨夜の大宮ライブ、セットリストは以下のとーり!
1.純情BOY
2.Friday Night
3.Nothing but you
4.Monkey President
5.KOI物語
6.Symmetry
6曲…短っ!
改めて見ると半分はNewアルバムからですね。。。
ま、8/3のUNITワンマンまでに新曲を全部やろうとすると
このぐらいのペースでビシビシ行かないといけないので
聴きに来てくれる人もさぞかし大変と思う(苦笑)。
しっかし、しっかり着いてきてくだしゃんせ。
わてらもぎょうさん練習しますさかいに。
誰だ、俺は(笑)
んー、頑張るぞっと。
短い時間だったけど、久しく会えていなかった埼玉のみんなの
顔を見ることが出来たり、勿論それ以外の場所からも足を運んでくれて
とっても感謝でした。Thanks!
しかしなんちゅー時間に日記更新してるんだ(笑)
色々考えてたら眠れなくなってしまってね。
今日は午後からスタジオにて作業です。
昨夜の大宮ライブ、セットリストは以下のとーり!
1.純情BOY
2.Friday Night
3.Nothing but you
4.Monkey President
5.KOI物語
6.Symmetry
6曲…短っ!
改めて見ると半分はNewアルバムからですね。。。
ま、8/3のUNITワンマンまでに新曲を全部やろうとすると
このぐらいのペースでビシビシ行かないといけないので
聴きに来てくれる人もさぞかし大変と思う(苦笑)。
しっかし、しっかり着いてきてくだしゃんせ。
わてらもぎょうさん練習しますさかいに。
誰だ、俺は(笑)
んー、頑張るぞっと。
短い時間だったけど、久しく会えていなかった埼玉のみんなの
顔を見ることが出来たり、勿論それ以外の場所からも足を運んでくれて
とっても感謝でした。Thanks!

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- ライブがやってくる!
- 一晩明かして
- 大宮Live終了!
リハーサルも無事終わり、帰ってきました@nisaです。
ん~今日はサッカー観るの我慢するか…
スタジオでは随分悩んでいたセットリスト、
当初予定に無かった新曲を入れ込んでみたりして、どうにか
やりくりしつつ決まったようです。ま、明日にならんとなんとも(笑)。
それにしても久しぶりの大宮だな~
ライブハウスは一年以上ぶり。街自体も一年近くぶりだね。
一体どんな風に変わっているんだろう??
当たり前のように、今夜はちょっと興奮しております。
ハーツは初めて演奏した時からとっても暑いイメージがあって、
天井が低くて、正直そんなに広いハコではないので
いやでも熱気が、みんなの滴る汗が(笑)感じられるようなハコ。
ライブハウスっぽいライブハウスっていうのかな。
すぐ近くの新都心とは全然雰囲気が違って、
街の違いがそのままライブハウスの違いとリンクしてるイメージ。
ま、その新都心も来月ライブがあるので、2度楽しみな感じです。
いやーそれにしても、今月来月は新曲ラッシュだ!
って、それぞれの曲の解説なんかもしなきゃな…
まずは明日のライブ、聴きに来てくれる人はお楽しみにです。
Rock!なライブになると思いますよ。
では明日!
ん~今日はサッカー観るの我慢するか…
スタジオでは随分悩んでいたセットリスト、
当初予定に無かった新曲を入れ込んでみたりして、どうにか
やりくりしつつ決まったようです。ま、明日にならんとなんとも(笑)。
それにしても久しぶりの大宮だな~
ライブハウスは一年以上ぶり。街自体も一年近くぶりだね。
一体どんな風に変わっているんだろう??
当たり前のように、今夜はちょっと興奮しております。
ハーツは初めて演奏した時からとっても暑いイメージがあって、
天井が低くて、正直そんなに広いハコではないので
いやでも熱気が、みんなの滴る汗が(笑)感じられるようなハコ。
ライブハウスっぽいライブハウスっていうのかな。
すぐ近くの新都心とは全然雰囲気が違って、
街の違いがそのままライブハウスの違いとリンクしてるイメージ。
ま、その新都心も来月ライブがあるので、2度楽しみな感じです。
いやーそれにしても、今月来月は新曲ラッシュだ!
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- 大宮ライブ!
- 帰宅(ガッツポーズ)
今日はスタジオに行かなかったので久しぶりにのんびり。
まぁ家で製作の続きなどやっていたんですが、
やっぱりサッカーの敗戦が頭から離れず…
イマイチ調子の上がらない@nisaです。
明日は珍しく日曜日に一日かけてリハーサル。
明後日は久しぶりの大宮ハーツでのライブなので、こりゃあ
気合入れてやらんといかんとです。
本番はまたあっという間に終ってしまうんだろうな…
段々と自分達の作品、曲が増えていくと共に、
限られた時間のライブの中でどの曲を演奏するかって
そんな悩みが出てくるもんですね。
昔はワンマンライブだったら、それこそ全部演るぐらいだったけど
今度からはどの曲を、どんな順番で演奏するか、
そしてその日をどんなステージにしたいのか。
そういう事を必然的に、考えるようになっています。
そんなわけで、明日はリハーサル中から日記などお届け。
今夜も遅くまで練習しています。
では、また。
まぁ家で製作の続きなどやっていたんですが、
やっぱりサッカーの敗戦が頭から離れず…
イマイチ調子の上がらない@nisaです。
明日は珍しく日曜日に一日かけてリハーサル。
明後日は久しぶりの大宮ハーツでのライブなので、こりゃあ
気合入れてやらんといかんとです。
本番はまたあっという間に終ってしまうんだろうな…
段々と自分達の作品、曲が増えていくと共に、
限られた時間のライブの中でどの曲を演奏するかって
そんな悩みが出てくるもんですね。
昔はワンマンライブだったら、それこそ全部演るぐらいだったけど
今度からはどの曲を、どんな順番で演奏するか、
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そんなわけで、明日はリハーサル中から日記などお届け。
今夜も遅くまで練習しています。
では、また。

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