2022年のパラリンピック
昨夜から2022年北京パラリンピックが開幕した。
パラリンピアたちの熱い競技が始まる。パラは人間の身体能力の凄さを感じられる素晴らしい競技大会だ。

開会式は寝てしまって最後まで見れなかったが、翌朝になってIPCパーソンズ会長のスピーチを見た。
ウクライナで今も戦争が続いている状況での、異例の開催。
そこでのスピーチが、大変素晴らしかった。
ニュースで見た人も多いと思うが、是非動画サイト等で観て欲しい。

英語でのスピーチだったが、中国の国営メディアはこのスピーチを中国語に翻訳しなかった。
パラリンピックという枠を超えて、世界の平和を訴える内容のスピーチ。
その内容が自国民に伝わると不味いと思ったのか、中継しながら翻訳しなかったのだ。
小さい!器が小さすぎる!
別に中国人が怒るような事は一言も言ってない。むしろ中国語を交えて感謝連発してたのに。
ウクライナで起こっている戦争を、世界中がちゃんと考えて、平和を取り戻そうというスピーチ。
これの何が問題なのか、、、

ウクライナの戦争について、ずっと外交的な曖昧戦略をとっている中国。
そして止まらない戦争。今ロシアが行っている非人道的な行為。
どちらも訪れたことのある国だけに、とても悲しい気持ちでいっぱいだ。
1日も早く、平和が訪れることを願う。

そしてパラリンピック、本当に楽しみ! 
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春よ来い
今朝の早朝ジョギングはいつもと同じ時間にも関わらず、もう太陽も高くなって随分暖かかった。
春の訪れを感じる、、、早く新しい季節にならないかな。

ウクライナ侵攻からまだ数日も経っていないが、緊迫した現地の様子や、世界中で抗議の声があがっているニュースを見ると、戻れないところまで来てしまった感じがある。
Point of no return.
だけど、僕はまだここから事態が好転することを切に願っている。
難しいかもしれないけれど。
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Tomorrow never knows
明日は何が起こるか、誰にも分からない…
っていうのを、慣用句やことわざでなんて言うんだっけ?とふと真剣に考えてしまった。
「明日は我が身」だとちょっとネガティブな要素が強すぎるし、「一寸先は闇」も違うし…
「諸行無常」もなんか仏教的な感じがするしw、「人間万事塞翁が馬」とか、僕の好きな言葉「「一陽来復」も、うーん。
ま、「明日は明日の風が吹く」あたりなんですかねぇ。ボブディランかっ。

今日のタイトルにある「Tomorrow never knows」はミスチルの曲ではなくて、もともとはビートルズの曲タイトルですね。
これはドラムのリンゴがたまたま口にした言葉(言い回し)を聞いたジョンがピコーンとひらめいて、この曲が出来上がったと言われていますが、英語圏の人にはこの「Tomorrow never knows」は文法的にちょっと違和感というか、意味は通じるけど普通は使わない言い回しです。
正確には「主語 + never know what will happen tomorrow」が意味的にも文章的にも正しいはず。
まず主語がWeとかYouとか誰なのか先に述べるべきところを、Tomorrowを主語にしちゃってるあたりがリンゴの変人っぷり(笑)というか、センスなのでしょう。

もちろん英語圏の人相手に「Tomorrow never knows...」と実際に言ってもちゃんと通じるし、ビートルズのこの曲が世に出て以来、もはや慣用句として使われまくっているので、そういう意味でもすごいバンドだよね。
まぁこれが一番しっくりくる、今の自分の気分です。
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Bob Dylan
先日の大隅さんノーベル賞・医学生理学賞の受賞に続いて、さらなる日本人受賞者の期待があったノーベル文学賞。
候補となるのはもちろんあの人なわけだけど…結果、今年のノーベル文学賞は、まさかのボブディラン!!
ん~~意外すぎる人選。もちろん村上春樹さんで間違いなしとは思っていなかったけれど、まさかミュージシャンが来るとは…




ボブディランは1941年生まれのアメリカ人ミュージシャン、シンガーソングライターで、現在ももちろん生きていて音楽活動をしている。
本名はロバート・ジマーマンだから、ボブもディランも後からつけた「芸名」なんだけど、もう確か本名登録したんだっけな?ノーベル賞もこの名前で受賞しちゃってるし。笑
実績やキャリア、人気もずっとあり、世界の音楽の歴史に名を残すアーティストの一人だろう。この人から影響を受けたのちのミュージシャンは数知れずいるし、75歳になった今も現役でツアーをやり、アルバムを出しているのは本当にすごいと思う。
文学賞をとるくらいだから、彼のアーティストとしての真骨頂はやはり「詩」だ。
彼のことを歌手というより詩人と呼ぶ人もいるくらいで、その歌詞は歌うためのものというよりも、一つの詩(ポエム)として完成され、沢山の人に影響を与えた。

だからこそなんだけど、英語圏以外ではそれほど人気というか、支持が低いようにも思える。
いや、日本にもファンは沢山いるよ!知名度も人気もあるんだけど、やっぱり他のアーティストでいうとビートルズとかストーンズとか、クイーンとかレッドツェッペリンとかと比べると、どうしても一回り人気は小さい。
これは日本だけじゃなくて、世界的にみてもそうだと思う。やはりアメリカ、およびイギリスで人気のある人なんだよね。(多分ディランファンの人は絶対否定すると思うけど…)

まぁその理由はやっぱり歌詞にあって、英語圏のネイティブでないと本当に深いレベルで彼の詩を理解し、味わうことは難しいと思う。
もちろん、言葉なんか分からなくても身体や感覚で感じて、楽しめるのが音楽なんだけど、ディランの曲はやっぱり歌詞が深いレベルで分からないとどうもなぁ…。
僕も全アルバムを持っているけど、正直言って、そこまでの英語力はないのでなんとなく理解できないまま聞き流してしまう感じがある。
あとまぁ、これは言っちゃいけないんだろうけど、あんまり歌上手くないんだよね…笑
そういうこともあって、ボブディランという人が本当に偉大なアーティストで、ノーベル賞をとるほどだと言われても、やっぱりいまいちピンと来ないのです。

とまぁなんだかディスってしまいましたが、大変に影響力のある伝説のミュージシャンなのは間違いないので、これを機会にレコードを引っ張り出してちゃんと聞いてみようかな。
ちなみにアルバムの数というか曲数も死ぬほどあってどれが代表作なのか分からない。笑
ビートルズみたいに、誰もが知ってるヒット曲がないのもなぁ。いや、ヒットしてなくてもいいんだけど、口ずさめるメロディのある曲がないというか…
またディスってしまったw
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新たなステージへ
昨日の夜はほとんど寝てないので、気分的には今日という一日が新しく始まったような気がしない。そう、つまり僕の中ではまだ3月は終っていないということになる。よし!ノルマ達成に向けてまだ頑張るぞ!笑

オリジナル曲を一ヶ月に10曲書く、という壁がなかなか越えられないでいる。
まぁ自分の書いた曲じゃない製作をやっている時間の方が圧倒的に長いので、ある意味しょうがないとは言えるんだけど、その辺の時間のやりくりをもうちょっと上手くやれたなら、一ヶ月10曲以上書くことは可能だろうか?と自分に問うてみる。
あ、もちろんサイズはワンハーフの話である。フルコーラスは無理だ絶対。

おそらくネックとなるのが歌詞で、まともにやろうと思ったらとてもじゃないけどそんな曲数は書けないし、今まで書いたこともない。
ここをクリアする、というか、方法論を買えてトライしてみれば、なにか別の突破口があるかもしれないと以前のblogに書いた。
要するに、ヘンなこだわりや完ぺき主義を捨てて、誰にも聞かせることのないざっくりとしたメモのような仮歌詞(?)を書けるようになれば、それこそ曲だけはすらすら書けるのだから、同じことが出来るはずだ。
ということで、昨日はそんなマインドで溜まっている楽曲たちに「メモのような仮歌詞」を書いてみた。もちろん、書きながら同時に歌入れも進めていかなければならない。ワンフレーズ考えて書いて、それを歌って、の繰り返しだ。
なんと、昨日一日で4曲も歌詞が書けてしまった。
なんだ、ただの天才か俺は(笑)

ちなみに「つぐない」の歌詞はフルコーラス書き上げるのに2ヶ月掛かった。それに比べれば1コーラスしか書いていないとは言え、驚異的な進歩である。
いや、進歩しているわけじゃないので、単純にこだわりを捨てたらこうなった、というのが正しいか。
バンドで曲を書いていた時のような感覚、精神性は完全に取り払って、とにかく1日に書けるだけ書くというスタンスで望んだんだけど、人間やっぱり今までやってきたことは染み付いているもので、自分のクセというか起承転結のつけ方みたいなのは結構出る。
本当に無意味な言葉の羅列で、音の響きだけで書いてみようと思ったんだけど、そういう事をしたことが無いので逆に出来なくて、やっぱりバンドで歌ってても違和感がないような感じになった。
ま~とは言えこうやって作った曲をバンドで演奏する様は全く想像できないけど笑

いやー人間っていくつになっても可能性を持てるもんだなぁ。なかなかいい勉強になったよ。
というわけで、3月が終る前に作業に戻ります←

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誰でも出来ちゃう、5年ぶりの新曲の作り方
メリークリスマ…ってあれ?今日なん日?
というわけで、今年も残す所あと一週間切りました。はえー。nisaです。





クリスマスイブの24日からメールで、そしてTwitterでお伝えさせて頂きましたが、5年ぶりにTHE LINDA!の新曲を発表しました。今回はCDやライブといった形ではなく、初めてYoutubeを使ってのネットによる新曲お披露目です。長い事音楽やっていますが、いまだにはじめての事やるときはとても緊張しますね。その僕のドキドキを感じながら(笑)まずは是非お聴き下さい。



今回の新曲「つぐない」は僕の作詞作曲で、詞と曲を両方やるのは本当に5年ぶりくらいだったので本当に時間がかかってしまったのだなぁ、という想いで一杯です。もちろん5年間この曲を作っていたわけじゃ全然ないけど(笑)。歌詞自体はやっぱり結構時間が掛かって、今年の2月くらいから書いてなんとかこの形になったのが5月くらいと、大変難産でした。

曲の方は正直2時間くらいで書いたのでどうって事ないのですが、今回この曲をやって気が付いたのは、もう僕の中で「歌詞先(歌詞を先に書いてからメロディをつける)」はもの凄く自然に、当たり前な事になっていて、歌詞を書いているのとほぼ同時にその言葉に対してメロディが付随してくるような感じでした。

なので、さぁ歌詞が書けたぞ!メロディはどうしようかな?んふんふんふ~♪(なめこ鼻歌)、というような流れではなく、ほとんど作曲しているという感覚もなかったほど。出来上がった言葉に対して多少歌いまわしをつける程度で、メロディは言葉と共に既に在りました。ラクと言えば楽だったけど、こういうやり方が突然ポンと出てきたもんだから、実は結構驚きました。

アレンジはもちろん、Akiyukiくんでございます。今年は手掛けたアレンジがオリコン1位取ったりして、いまやJ-POPを担う若手気鋭の編曲家ですな。本人はこういうこと言ったり言われたりするのが極端に嫌いだと思いますが(笑)。今後も全ての曲は彼がアレンジすると思います。昔は俺もちょこちょこやってたけど、もう技術やクオリティが違いすぎますね。全幅の信頼で任せております。





今回は詞曲だけでなく、Youtubeにアップするということは映像も作らなきゃいけないわけで…ま、これが最大のチャレンジであり、一番大変だったかもしれません。色々考えたあげく、結局は僕が全部自分ひとりでやることにしました。時間的にも、予算的にも、誰か別の人に頼むってのもちょっと厳しそうだったし。とはいえ、僕もこんな事生まれて一度もやったこと無いので、もうホント何もかもが手探り(笑)。

結果的には、この映像も随分反響があったようで、知り合いのミュージシャン、バンド関係の人からエライ褒められました。へへーん。まぁどうやって作ったかとか、どういう苦労があったかというのはここで書いても非常に長ったらしくなるので今日は勘弁して頂きます。大体12月入ってから制作を始めたので、2週間くらいかかったでしょうか。先週は音とのミックス作業(MAと言います)をしてたので、まぁ都合そのぐらい。

とにかく、御託は良いのでまずはこのYoutubeの動画を見て、曲を聴いて、どんなことを感じてくれたでしょうか。そんなにいろいろな解釈が出来るような、意味深長な曲ではないと思っています。とてもストレート。僕が考えている事を、健の歌に乗せて届けたいことを、そのまんま曲にしたようなもん。だから、この曲を聴いてあなたが感じた事は、決して僕の感じている事とそれほど違わないと思うんです。

その「感じてくれたこと」を、自分ひとりじゃなくて、あなたと、そしてまた他の誰かとも、共有したい。感じた事を色んな人にシェアしてほしいからこそ、この曲はCDやダウンロードいった形ではなく、こうしてネット上にポーンと投げてしまうのが良いんじゃないかと、バンドメンバーとは事前に話していました。

だから、もし何かを感じて貰えたらなら、是非それをシェアして欲しいです。どんな形でも、どんなやり方でも構いません。色んな人に聴かれてこそ、この曲は価値がある。僕やバンドにどんな価値があるかは僕も分かりませんが、少なくとも僕は楽曲には価値があると信じています。

というわけで、まだまだ色々ありますが今日はこの辺で。
年内はこのネタで引っ張ると思うのでヨロシク(笑)

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Evernoteで音楽制作 誰も知らなかった超活用法【歌詞編】
iPhoneを初めとするスマートフォンデバイス用アプリの中で
定番中の定番的といえば「evernote」っすよね。多分。
「全てを記憶する」「第2の脳」とまで言われてる、アレです。

要はクラウド上に自分のメモ帳&フォルダを作って、そこに
自分で書いたメモや記録、写真やデータなんかを残しておくもの。

分かりやすく言うとこれだけなんですが、あくまでデータは自分の
持っているデバイス・PCにあるわけでなく、クラウドの向こう側、
すなわちサーバーにあるので、出先からでもPCからでも同じように
自分のメモやフォルダが見れて、書いたり編集出来る所がミソです。



偉そうに言ってますが、僕もスマホ持ってから一年も経ってようやく
使い始めました。いや知ってたんだけどね存在は…。もともと
紙の手帳、メモ帳もほとんど使わないのです。全て自分の脳みそに
記憶させるタイプ。記憶できない事は忘れてもいい事。みたいな。

なもんで、このevernoteが具体的にどう便利なのか、ただの
メモ帳と何が違うのか分かんなくて距離を置いてた(大げさ)のですが
実際使い始めてみると、まーこりゃ凄い。便利。めちゃめちゃ。

で、Evernoteを仕事や、日々の生活のライフログにどう活用するか、
てのはググって貰えればいくらでも情報がありますので、ここは一つ
evernoteを音楽制作に活用する方法について書いてみます。



・実体験からオススメするevernote的音楽制作のススメ


多くのevernote活用法サイトなんかで書かれている通り、この
アプリの最も有効な活用法は「なんでも放り込んで、残しておく」こと。

テレビ、新聞、雑誌、ラジオetc..あらゆるメディアから、僕たちは
膨大な量の情報を受け取っています。僕はこれらの4大メディアと
日常ほとんど接しませんが(笑)、それでもネットや、読書の際に
やはりものすごい量の活字を、無意識を含め読んで受け取ってます。

そうした情報や活字の中で、ほんの少しでも意識に引っかかる、なんか
気になったものがあれば、とりあえずevernoteに放り込んでおきます。
ネットの場合は文字通りページごと保存して、活字や音声での情報の
場合はすばやく近くにあるPCかスマホに打ち込んでおく。

さらに、活字じゃなくても自分の目で見た風景とか、音とか匂いとか
普段生活してて「何か」感じたものがあれば、それをすばやくスマホで
evernoteにメモして、投げ入れます。写メを撮って、そこに一言でも
自分でコメント残して入れといたりすればもう完璧です。

活字の情報って勿論大事ですが、それ以上に自分の五感で感じた物を
画像(写メ)と文字(自分の言葉)で記録しておくと、その時はほんの
些細な事でも、後になってものすごく役に立つ事、結構あるんですよ。
それは「歌詞を書く」というシチュエーションの時に、特によくあります。



例えば僕、こういうこと言うとドン引きされそうですが、電車の中とか
駅の待ち合わせ場所、取引先の会社行った時とか、食べ物屋さんの中、
とにかく不特定多数の知らない人が集まっている所に行くと、必ず
そこにいる人を注意深く観察する癖があるんですよね。

言葉で上手く説明出来ないんだけど、なにかドラマやネタになりそうな
事はないかな?っていつも意識して探してるんです。まぁ実際そう簡単には
街角でドラマに遭遇することなんてないんだけど、それでもいいの。
自分が書くドラマの元ネタになりそうな「記憶」があればいいんですよ。

僕が今まで書いた歌詞の全ては、実際に僕が見た記憶の中から、
膨らまして書いているものがほとんどです。実体験ではありません(笑)。
実際に見た風景、聴こえた音、感じた匂い、触れた手触りや温度、等など
そういうのが記憶の片隅に残ってて、それを思い出しながら、イメージする。

今まで空港での別れの風景を書いたり、終電の閉まるドア越しを書いたり、
桜橋とか、海辺のシーフードレストランとか、全部実際に見た光景です。
それを記憶から引っ張り出して、さらにその時の視覚情報以外の感覚も
出来るだけ思い出しながら、歌詞というドラマを描いていくんですよ。

この時に難しいというか、苦労するのが、人間の記憶ってのはそこまで
便利に出したり閉まったり出来ないので、割と後付けで都合よく作って
しまいそうになる事です。そうすると、途端に「リアル」は失われる。

例えば、「シンメトリー」で閉まるドア越しに君が…あ~どうしてたっけな、
思い出せないっ。。。ま、いいや、「窓に指文字で"あいしてる"と書いた」
にしておこう!うん、それっぽいそれっぽい!胸キュンだろっ!

とかやってしまうと台無しでしょ?(笑)
ドアが閉まってから、ほんの僅かな時間にそんな指文字が書けるとしたら、
どんだけ冷静やねんつーか小悪魔Agehaか!みたいな。

本当に愛し合って、離れ難い二人なら「何も出来ない」。中の人は外を、
外の人は中を、ただ見つめあうだけ。そしたら、その形が横から見ると
「対象形=シンメトリー」になる。横から見てるのは誰かというと、俺です。

まぁこれは非常に分かりやすい例だけど、記憶が細部まで正確であるほど
歌詞はディテールが細かくなり、立体感や濃淡が生まれる。そんな作詞の
基本中の基本を、阿久悠さんや松本隆さんから学びましたが、そういう技法
を持った「リアルな歌詞」が、J-POPにはどんどん少なくなってると思います。



・僕には到底出来そうにないことを「第二の脳」がやってくれる。


だいぶ脇道それましたが、もう大体わかりましたね、evernoteの使い方。
記憶というのはとても曖昧で、後からセルフ加工されやすい。その時感じた
事を、そのままの印象で(しかも写メ付きで)evernoteになら残せます。

し か も、evernoteは検索が出来る。特定のワードから、日付から、
自分がタグ付けしておけば「駅」「帰り道」「レストラン」みたいな感じで
シチュエーション別で記憶を保存、管理出来るわけです。これはさすがに
自分の脳だけじゃ無理。紙のメモ帳で書いてやるのもえっらい大変。

僕みたいに「記憶の情景辿る派」の人じゃなくても、本を読んだりネットを
見た時にたまたま出会った「気になる言葉、表現、出来事」を入れて
おけば、後で歌詞を書く時に間違いなく大きな味方=ネタ張になります。
何故自分はこれに心を動かされたのか、それだけで一曲書けますから。

作詞家の故阿久悠さんは、これと同じ事を35年間くらい毎日ノートに
書き続けてたそうです。その日あったニュースや自分の周りの出来事を
35年ひたすら毎日書き続ける、それを聞いた時に、うわー、やっぱ
こういう人には絶対敵わないやと思いましたが、evernoteは
それを「誰でも可能にする」可能性を秘めてます。

というわけで、あらゆる所で「evernoteはスゴい!」と言われてますが、
音楽制作においても「凄い」ツールになるかもしれません。てのも、これを
使い始めて僅か2週間、早くも何曲かかけそうなくらいネタが出来てて、
この僕が実に3年ぶりくらいに、歌詞を書いてみたいなと思い始めてます。
こんな気持ちは本当に久しぶり。すごいぜ、evernote。



多分このアプリを使った音楽制作について書いた人は初めてだと思うので、
引き続き他の使い方についても研究して、ここでシェアするつもりです。
曲作りに興味ある方は、ぜひTwitterやはてブで広めてくださいまし。
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何も探さない、ただそこにあるだけのラブソング
年明けから一週間が経ちました、土曜日。

なんかとても時間が経った気がするなー。

大晦日が一週間前で、クリスマスイブが2週間前でしょ?

もう2年前ぐらいに感じない??






特になにか大きなことをしているつもりもないのですが、

この一週間で、(自分としては)大きな仕事をいくつかこなし、

またかなり大きな失敗も一つやらかしました。した。

やらかした瞬間はそれこそ、

「あwせdrftgyふじこl俺の人生オワタ\(^o^)/」

ぐらい取り乱しましたが、一晩寝たら意外とケロッと。

取り返しの付かない失敗なんてのは、そうそうないもんです。

やらなかった事、諦めてしまった事の方がよほど大きい。

失敗、ミステイクはその時は確かにデカイが、

本当に、自分が思ってるほどは、深刻ではないから。

目の前が真っ暗でも、少しずつ進むんだよ。

手探りでさ。

やっとそういうことに気付き始めた2012年。






最近感情のアップダウンがとても激しい中で、改めて最近読んだもの。

昔、僕が作詞した「恋をしなけりゃ」という曲の歌詞があるのですが、

この歌詞に書いてある事が、今頃になってめちゃめちゃ効いてます。

一体誰が書いたんだこんなすげー歌詞(笑)

まぁ題目の通りラブソングなんで、そこに独自のメッセージや

僕の中からあふれ出る政治的主張、みたいなのはないんですが、

一方的な恋愛感情(ようは片思い)の、キリキリした痛い部分を

少ない文字数でここまでえぐるってのはなかなか。

読んでて今、ホント「はぁ~」て溜息しか出ません。







最近のJ-POPて、もう歌詞で説明しまくるでしょ。

君とどこへ行って、どんなことをして、どんな気持ちになって、

あんな事こんな事を言ったり、言われたり。

星を見上げて、風に吹かれて、香りに酔って、気持ちは揺れて、
涙を拭って、笑顔で照らして、背中を押して、一歩踏み出して、

そこまで書いてやっと「僕は君が好き」。

そりゃラブソングなんだから、君の事が好きなのは確かだけど。






自分が歌詞を書く時は、とにかく一人称と二人称を出来るだけ

使わない事を意識して書いていた時期があった。

理由は、「I(僕、私、俺)」は作詞する人でもあり、歌い手でもあり、

なにより聴く人のことであると考えていたから。

つまり「You(君、あなた)」は、I以外の全ての人でもあるというわけ。

「僕は君が好き」という歌があった場合、

僕=アーティスト、ボーカルの人。 君=リアル恋人、あるいはファンの人。

それだけだったら全然面白くないでしょ!と考えていた。

だから、「(君が)好き」「(君を)愛してる」は多分使った事ないはず。

あ、「桜麗」で一度だけ使ってたか(ノ∀`)アチャー

いまどきこんな事考えて歌詞書いている人は少ないだろうな。。。






ま、ともかく。

「恋をしなけりゃ」の歌詞が今の自分にとってとても痛切なのは

ラブソングとしての出来はともかく、

「○○しなけりゃ、○○になれる。でも…」っていうリフレインが響くのだ。

これ多分○○の所に何いれてもギュッと締め付けられる気がする。

それはやっぱり、

人生の中でそういう堂々巡りや、逡巡こそが

誰もが抱えている、「普遍的な感情」だからなのかもしれない。

そういうものを書きたいと、あの時死に物狂いで書いていた。

そんな昔の自分が書いた歌詞に、

まさか今の自分がこんなにも心動かされるとは思わなかったよ。

あの時頑張って歌詞書いて、本当に良かったなぁ。
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今年も締めます。ザ・総括2
コーヒー飲みすぎた。月賦。
アッキーと話してるとホント楽しいな。時間を忘れる。
数年ぶりに、彼と大晦日に同じ場所で過ごすよ。いーだろ(笑)








2011年は初っ端から「日本は今年何かが起きる、変わる」と
無責任にも言い放ち、果ては「北朝鮮で革命が起きて金正日が倒れる」
なんてのも予言していたが、見事に当たってる!すごー。
日本が変わったのかどうか、人によっても状況によっても意見は
分かれるところだろうけど、3/11を境にやっぱり僕は同じ世界に
自分が生きているとは思えないし、それまで当たり前と思っていた
すべての事が形を崩して、変化していく現在進行形の中にある。
あれから9ヶ月とちょっと、1年足らずという時間は変化の中では
余りにも短いかもしれないが、それを感じるには十分な時間だ。
でも、連日の忘年会でそんな話をしても、以外に東京に住んでる
人にはピンと来ない部分があって、感じ方は人それぞれなのかも。










個人的な話になってしまうが、震災が僕の音楽の仕事や、
モチベーションにもたらした影響はとても大きかった。
3月、4月は本当に何も出来なかったし、出来る気がしなかった。
海外からの仕事もほとんど断ったし、事情が事情だったからそれで
トラブルにはならなかったが、影響はやはりあったと思う。
やるべきことをやろう、普段どおりに生活して仕事をしようと
自分に言い聞かせるようにblogに書いていたが、何もない所から
音楽を創造して、クリエイトするのはそんな甘い気持ちでは
なかなか出来ない事を思い知らされたよ。そんな風に、
作れない、作りたいとも思えない自分てのは、初めてだった。
ミックスとかはある程度テクニックで出来るけれどね。
音楽が(自分の中で)なくなる事を、初めて実感した。
正直、怖かったな。ビビッてたよ。
今もその葛藤や、迷いや、焦り、全部が僕の中にある。
率直に言って、それが今年一年の一番大きな自分トピックだし
来年こそは変えて、克服しなきゃいけない事なんだよね。











その後は地震について、原発について、政治やメディアについて、
大きな事から些細なことまで色々考えるようになったけれど、
色々考えるようになったきっかけは、やっぱりあの日、あの時から。
答えが出ないのは分かっているけど、人生なんてそれぞれの
長い長い答え合わせみたいなもんだ。
だから、あってもなくても、どこへ行っても見つからなくても
それを探すことを諦めちゃいけないんだよな。
もうすぐ始まる新しい年に、自分がやるべきことは
僕にも、あなたの心の中にも、もうちゃんとあるんだよ。
それを考えながら、あと少しだけ今年の余韻を感じてみよう。
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忘年会より愛を込めて
「ため息色した 通い慣れた道
人込みの中へ 吸い込まれてく」

というわけで、先ほど忘年会から帰宅しました。
沢山飲んだーウーロン茶(笑)
学生時代の仲間(全員オトコ)とあって飲むのは5年ぶりくらいだったが、
こういう一滴も飲まないような奴まで飲み会に誘ってくれて、感謝感謝。
俺と飲んで話してもつまらんだろうしなぁ。





「同年代の友人達が 家族を築いてく
人生観は様々 そう誰もが知ってる」

んで、今日の飲み会で始めて知ったのだが、学生時代の仲間連中で
ついに俺だけが「未婚」。なんと残ってた奴もみな結婚したのだ今年。
明らかに俺よりも結婚しなさそうな奴がいたんだけど、そいつもついには
「最後のカードを切った」ということで、10歳ぐらい年下の素敵な奥さんと
結婚してしまった。あーあー俺一人残っちゃったよ。
友人達はみんな、「おい、結婚なんてしなくていいならしない方がいいぞ!」
とか「自分が幸せならそれが一番、お前は正しい!」とか言っていたが、
その顔はどうみてもとても幸せそうで、やはり自分にはない何かを持って、
それを心から愛し、誇りに思っているように見えた。






「恋愛感や感情論で 愛は語れない
この想いが消えぬように そっと祈るだけ」

結婚する、しないに関らず、誰かを幸せにしたいと思う気持ちはどんな
思いよりも深く、大きい。それが子供や、家族や、友人でもいい。
ただ、誰かを幸せにしたいという思いが消えないように、そっと祈っても
それだけでは誰も幸せにする事は出来ないんだろう。
この前のクリスマスに、僕がえらく凹んだのは、結局の所誰一人として
自分は幸せになんて出来てないんじゃないか、と思ったから。
大げさなことじゃなくてもいい。バンドやってライブとかやっていた時でも
ほんの僅かでも、(自分以外の)誰かを幸せに出来ているんじゃないかと
思えて、僕はとても幸せな気持ちになっていた。
だけど今は、それさえない。どんなに仕事をしても、いろんな人と会っても
誰かを幸せに出来ないのなら、自分は幸せになれないんだよ。








自分はさておき、かつての仲間達は本当に素晴らしい人生を送ってるな。
音楽に関る仕事に就いてる人は誰もいないが、みんな学生時代と変わらず
音楽や映画や漫画が今も好きだ。それを楽しんでるのも感じる。
僕の周りは、僕が思っている以上にみんなこの世界を楽しみ、愛しているよ。
それが一番、羨ましかったな。





「分かってるんだよ 多少リスク背負っても
手にしたい 『愛』」

愛。
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