完成した曲、聴くべきか聴かないべきか
先にどんどん進んでいけるように、最近は敢えて完成した曲を聞かない=パソコンやiPhoneに入れないようにしている。
意識してやっているとはいえ、ふと自分の進み具合が分からなくなるというか、ずっと終わらない作業の途中にいるような気がして、朝起きるのがしんどい。。。
毎日起きると「今日もまた昨日の続きからか…」みたいな精神状態。
朝起きて最初にフレッシュな気持ちで始められないと、だんだん心の疲労度がたまっていく感じがある。


で、昨日は提出のために、一週間以上前に終えた曲を初めて自分のプレイヤーに落として聞いてみたんだけど、これがやっぱりいい(笑)
その曲の作業を終えてから時間が経っているので割と冷静な気持ちで聞けるし、多少粗があっても今から修正する気にはあまりならない。
面倒だからw
というか、今は全く別の曲に取り掛かっているので、時間的にもよっぽどのミスがない限りはやり直す必要がないんだよね。
改めて完成曲を聞くと、ちゃんと自分、仕事してるじゃん!みたいな気持ちになれて良かった。

ただ、自分の曲はやっぱりついちゃんと聞いちゃう。
同じ曲をリピートして聴く(曲が終わったら、同じ曲をそのままアタマからもう一度聞く)ことなんて滅多にないけれど、自分の作った曲はついリピートして聴いちゃうから、これが時間的にも勿体ないし、誰も気づかないような細かい所を修正したい気持ちが出てくるかもしれない。
これは良くないことだし、その習慣を変えたいと思っている。
なので、自分の「完成した曲」を聞くことは気持ちの上で良い効果があるけれど、そこにとらわれないようにする必要がある。
要はバランスってことだね。難しいことだけれども。
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改めて曲作りについて考える
ふと、バンドとかで曲作りやアレンジをするのってどうやってやるんだっけ?と考えてしまった。
いや、バンドじゃなくても、ソロでもデュオでもいいんだけれど。
どんな形態であれ、普通曲を作る時はまずメロディやコードを考える所から始めて、それを固めていくと同時にその曲のリズムをどうするか、全体の構成をどうするかというアレンジの肉付けをしていく。
この段階で、楽器を弾けるなら自分で弾いて、あるいは打ち込みをプログラミングして、アレンジの要素を足していく。そのどちらも出来ない場合はミュージシャンを頼んで弾いてもらう。他の人に打ち込んでもらうって場合もある。
自分を含めた色んな人の演奏やら打ち込みやらが重ねられて、一番最初に曲を考えた時のイメージに近い形になったら、一応その曲は完成になる。
こういうのが昔から、今でも一つのスタンダードな曲作りの方法としてある。

一方で、自分で曲を作り始めて、アレンジの段階においても自分でどんどん弾いて、打ち込んで曲を完成までもっていくというやり方も、ここ数年ではスタンダードと呼べるくらいよくある方法の一つになってきた。
上に書いたやり方と何が違うかって、見ての通り「自分一人で完成まで」やるかどうか、というのが大きな違いだ。
ごく一握りのスーパーミュージシャンを除いて、全ての楽器を自分で演奏し全てのパートを自分で打ち込むとなると、膨大な知識やスキルが必要となるので、普通は出来ない。
けれども今では、頭の中にある色々な楽器の音や演奏を、打ち込みやサンプリングの技術の発達によってかなり近い形にプログラミングすることが出来るようなってきた。
もちろん誰でも簡単に出来るというわけではないけど、昔だったら出来なかったことが、少しづつ出来るようになってきたのは事実だ。
そういう人が少しづつ増えていって、今ではそれが要求されるスキルの一つになりつつある。
作曲者が一人で完成までやることが良いことか悪いことかはどっちもあると思うけれど、一つ確実に言えることは「一曲あたりの予算は低くなる」ということだ。
どうやっても、曲作りに参加する人が増えれば増えるほど予算はかかるからね…一人で作曲からアレンジ、完成までやるというのは、予算を低くするための究極の曲作り方法ともいえる。
ここからさらに予算を減らそうと思ったら、AIのような人工知能に頼ることになるけれど、それも実はミックスやマスタリングの分野では既に始まっている。まだ本当に初期の段階だけれど。

かくいう僕も、そういう「一人で全部やれる」系の人間の一人だ。僕の場合ミックスやマスタリングも出来るから、これはもう究極の安上がり楽曲制作者みたいなもんだ。
でもそれが良いことであるとか、俺ってすごいだろ!みたいな風には、全然思えない。
そもそも全てを一人でやれる、というのは、全てが浅い知識や経験のもとでやっているということでもあるし、アレンジの話でいうと、何故バイオリンも弾けない自分がストリングスのアレンジをしているんだろう?とか、トランペットに触ったこともないのにブラスバンドの曲を作ってる、とかいうことはしょっちゅうある。
そういう曲作りやアレンジをしなきゃいいのだけど笑、自分の弾ける楽器だけでやっていたら全部ピアノの弾き語りになっちゃうし、プロのレベルで言えばそもそもピアノだって怪しい…あらゆる楽器を普段プログラミングでやりながら、結局何も出来ないじゃんみたいに思う時がある。

バンドだったら、自分のパート以外はバンドのメンバーに考えて貰って、弾いてもらうのが当たり前だった。
でも今のバンドはもうそうじゃないのかもしれないな。良く知らないけれど。
誰だって、自分の得意とするパートを担う時は楽しいし、自信もある。そうじゃないパートをやらなきゃいけない時は、チャレンジであると同時に難しさやイライラが募る時もあるだろう。
僕が一人で(完成まで含めた)曲作りをする時は、ずっとその後者の状態なのかもしれない。
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作曲のオハナシ
今まで、ミュージシャンやアレンジャーの実力やスキルの違いは一聴して分かっていたものの、いわゆる専業の作曲家(作曲だけして、アレンジはしない人)の実力というのが、いまいちどこがどう違うのか分からなかった。
だってコードとメロディ作るくらいなら誰でも出来るじゃん…?別に組み合わせに正解はないわけだし。

だけど最近、色んな曲の「アレンジを除いた、曲そのものの部分」を分析するにあたって、段々と作曲そのもののスキルというか、作曲家の人の凄い部分が分かってきた感がある。
単純に言えば、スケールやコードから「外れた」音を、いかに外れていないように自然に聞かせられるか、という所に作曲の腕の違いがある。
ピアノでいう所のドの音からその上のドの音まで、音階はたった12音階しかない。メロディはその中で上に行ったり下に行ったり、伸ばしたり短く切ったりして作るわけだけれど、たった12個の音階ですら、スケールやコードに沿って使っていては全てを使うことは出来ない。いわゆる「気持ち悪い音」があるからだ。

その気持ち悪い音=外れている音を。そう聞こえないようにスッとナチュラルにメロディの中に混ぜるテクニックというのがあって、これはちゃんと音楽理論を勉強しつつ、作曲そのものの経験を積まないと出来ない技術だ。
僕自身も、そういうオーダーがあれば書くことは出来るが、なにも指示のないまま自由に曲作りすると、こういう音使いをして作曲することはまずない。つまり自分の中に「ない」使いかたであり、技術なんだと思う。

様々に異なるスケール音をナチュラルに曲の中に入れてくるような曲(?)を聞くと、この作曲をした人はちゃんと勉強してるんだな~と思う。
勉強しないで、感性やセンスでこういう音をメロディに乗せるアーティストやソングライターもいるが、やはりどこか気持ち悪かったり、不自然さを感じる時が多い。(もちろんそれを狙ってやってるだろうから、別に間違いではないけど)

まぁ必ずしも、こういう音を入れた方が絶対いい曲になるか、と言われるとそうでもないのだけど、単純にスキル厨の自分としてはこういうアカデミックなメロディ、コード進行も自分のものにしたいなぁと思うのです。笑
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リスペクト Part1
あっという間に春が来たと思ったら、ここ数日は気温も25度を超えて今日はなんと夏日になるという。
ついこの前まで寒くて桜が咲かない、なんて言っていたのに…季節の移ろいとはまさにこのこと。
別れの3月から出会いの4月へ、みなさん新生活を頑張っているでしょうか。
私は相変わらぐずぐずしています。笑



自分以外の他の人を見る際に、年上だから、年下だからってのはほとんど意識しないし気にもしないタイプなんだけれども、それでもキャリアや経験といった意味で凄いなぁ、尊敬するなぁと思える人のほとんどが自分よりかなり年上なのは確かだ。(日本語あってる?)
だから同年代、ないしは自分より年下で凄いなぁと思えるのは、かなり凄いってことなんだと思うのだけれど(日本語あってないw)、そういう人が自分には二人いる。
一人はアッキーだ。
いきなり親族かよ!他人じゃないしw
でも同じ音楽制作をやって、それを仕事としているプロフェッショナルとして、自分より年下なのに毎回本当に凄いなぁと思うことが多々ある。
技術やテクニックはもちろんのこと、そういうスキルの部分だけではなくて、ハートいうかミュージシャンとしてのマインドが強い。志が高いというか。
僕自身、マインドも弱いし志も低いので(笑)、そういう所はもう何年一緒にあれやこれややっていても、毎回見習わないといけないと思うし、そうやって言葉では言いつつも、やっぱりああいう風にはなかなかなれない。
上手く言えないけど…プロとしての心構えというか、ちゃんとしている。
あと、音楽制作に対して才能だのセンスだのって言わない所がイイね。僕は音楽に対して「センス」や「才能」が必要、それがなくてはダメというのは、その段階で二流だと思っている。
もちろんあるに越したことはないが、そんなのより重要なのは「努力」や「経験」や「練習(勉強)」。
音楽制作でセンスや才能が必要な部分は多分全体の10%か5%くらいのはずで、残りの大部分はそういう泥臭いこと、分かっていても多くの人が足りていない部分が必要なのだと思う。(自分を含めて)
そういう僕の理論(?)を、本当に地でいくような人間がアッキーだ。
なんであんなに努力や練習が出来るのだろうか。しかもそれを個人練習ではなくてプロとしてキャリアを積みながらやっている。
まぁ多分、本当に好きなんだろうなぁ。それが私との一番の違いだよきっと。笑



もう一人の尊敬する人は次回書きます。
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久々の一曲
久しぶりにピアノとメロディだけのオリジナル曲を1曲書いた。
最近、ピアノ弾き語りの曲のレコーディングやらミックスやらが重なっていたので、その影響もあったと思う。
まぁ1曲といっても、まだ歌も入れてないし、当然歌詞もない。本当にピアノの伴奏とメロディだけ。
それでもなぜか、久しぶりにいい曲作ったなぁ。。とちょっと嬉しくなった。
こういう経験というか、気分を少しづつでも重ねていきたい。そうしないと曲作りへのモチベーションが保てない。
今日もそういう思いが出来たらいいな。

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最近は
自分が今この年齢のうちにやっておくべき事ってなんだろうか。
最近そんなことを考える。考えてしまうのは、それが分からないからだと思う。
例えば若い時、学生だった頃や、20代前半のうちにやっておいて良かったこと、もっとやっておくべきだったことは、何となく分かる。
またこれから歳をとって、段々と身体や健康面で今までのようにはいかなくなるんだろうな、ということもイメージ出来る。
でもそうじゃなくて、今の自分の年齢の時だからこそやっておくべき事が何かあるんじゃないか…
もし10年後に振り返った時にもやってよかったと思えるような何かが、ね。
過去を振り返ることも、ましてそれについて後悔することもあまりない性格だけど、こういう風に考えるのはやっぱり年齢なのかなぁ。
形に残るものを、一生懸命残しておきたい。
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ミックス
ミックスについての話だけれど、去年やったとあるミックスの仕事で、僕が「音を変えすぎる」傾向にあることを指摘されたことがあった。

全てのレコーディングを終えて、歌や楽器といった素材(録ったものもあれば、打ち込みのデータもある)がバラバラの状態で僕の所に来る。
それをひとつずつ聞いて、バランスを取りながら、全体としてのまとまりとか聞きやすさとか、とにかく曲をより良い完成形に近づけていくのがミックスという作業だ。
だから前提として…僕が素材を貰ったそのままの状態の時より「良くなってないと」いけない。
そのままだと歌や何かの楽器の音量が大きかったり小さかったり、それぞれがぶつかったり逆に混ざっていなかったりするので、それをバランスしていく。

けどこのバランスをとっていくという作業も、実は自分の趣味や嗜好、この曲はこうあるべきみたいな方向性を含んでしまっている。この方向性が、作り手であるアーティスト本人や作曲家、アレンジャー、あるいはプロデューサーと「ズレて」しまっていると、どんなに自分は頑張って良くしているつもりでも、結果は思わしくないものになる。
貰った素材を原型をとどめないほどに変えてしまう、という所までは僕もやらないけど、少なくとももっと良くしたいとか、カッコよくしたいとか、そう思っている以上は元の素材の状態からはどうしても変わってしまう。
そうじゃないと、わざわざお金を払って僕に依頼する意味がないでしょ?と思ってしまうからだ。

だけど、世の中の全てのミックスがそうではない。
「録った時の状態から、出来るだけ変えないで欲しい」という方向性も当然ある。
レコーディングだって、音色や演奏の状態に細心の注意を払いながら出来るだけ良いもの目指して作業している。
アーティストや曲によっては、録り終えた段階でほぼ完成、という場合もあるだろう。
で、それをほんの少しだけバランス良くしたい。
あるいは、それまで全然楽曲制作に関わってこなかった別の人の感性を取り入れたい、そんな理由で依頼するミックスもある。
そういう風に事前に言ってもらえれば僕も(多分プロのエンジニアなら誰でも)そのようにするけど、そこまではっきりと「変えないで欲しい」と言われるミックス依頼はあまりない。
大抵は「お任せ」と言われる。あるいは「いい感じにしてほしい」とか。笑
そうなってくると、自分の思う「いい感じ」にするべく、お任せで自由に頑張ってしまう。
でもそれだとダメな時もあるんだよね。

どこまで「変えるか」、あるいは「変えないか」。
もっと言うと、自分の考える「いい感じ」に寄り過ぎないよう、常に客観性を持たないといけない。
僕が憧れてリスペクトしているような海外のトップエンジニアは、これとは真逆の人が多い。
つまり、自分のサウンドや完成形をしっかりと持っていて、どんなジャンルや素材が来ようともその人の音にしてしまう。
その人が手掛けて、過去にヒットした〇〇のような完成形ミックスになる。これなら依頼する側も大喜びだ。
でもこれを僕がやってもダメな時がある。もちろん良い時もあるけど。
どちらにも対応できるようにしないといけないのだろうね。
つまり、自分のサウンドも確立しながら、全く正反対のクライアントの意向にも沿える音作り、ミックスが出来ないといけない。
自分が満足するためではなく、アーティストや依頼者が満足する形に仕上げないといけない。
勉強することは常にある。
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どちらを選ぶか
数年に一度の最強寒波が来ているそうで、今夜から週末にかけてはちょー寒いらしい。
そんな13日の金曜日。なんて日だっ!




ミックスに集中して、そこで良い仕事をすることで結果を出す。
なまじミックス以外も色々出来ちゃうから、そういうことも他の人に言われないとなかなか自分で気づかないものだ。
一つの技術やスキルを追い求めても、なかなかそれだけでやっていけない、仕事にならない。
そう思って、何でも出来るように全方位的に自分のスキルを伸ばしてきた。
それなりにどれも出来るようになってきたけど、どの分野でも「トップ」にはなれないことを、もうずいぶん前から自覚している。
音楽業界の仕事はより細分化されて、パイ自体も縮小されているから、どのポジションにせよ「トップ」のスキルや技術を持っている人に仕事は集中する傾向にあるだろう。
ゼネラリストかスペシャリストか、どっちが良いのかは自分でもずっと答えが出ない。
でも現実的に、自分はスペシャリストではなくゼネラリストだ。
何でも出来るのは悪いことではないけれど、自分に任される仕事は何でもではなく、おそらく一つ。
それをちゃんとやって、良い結果を出していかないといけない。
頑張らないと。。。
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音の一期一会
年末から年が明けた今もなのだけど、最近はPCで作業しながらずっとレコードを聴いている。


僕はアナログレコードを2000枚以上持っていて、それらを常に買ったり売ったりしているいわゆるコレクターだ。
いわゆるコレクターなので、持っているそれらのレコードを全て満遍なく聞いているかというと、実際の所ほとんど聞いていない盤もある。
なるべく一度は針を落とすようにはしているけど、正直言ってレコードを聴くのは面倒なのだ。
プレイヤーを用意して、電源を入れて、回っているレコード盤に針を落とす。片面30分弱くらいしたらそれを裏返してまた同じ動作をするetc...
それこそが「レコードを聴く醍醐味」なのだけど、ただ音楽を聴きたいだけならどう考えてもmp3をiTunesやPCのプレイヤーで聞いた方が早い。
だからレコードを買って聞くのと、データで音楽を聴くのは全然別の行為だと思っている。
音質がどうこうってことじゃなくて、そもそも比較する行為として違う。100m走と100m自由形くらい違うと思う。笑



そんなわけで、数千枚のレコードを集めて持っていながら、ほとんど聞いたことないのもあったのだけど、レコードってアナログなもので、同じアーティストの同じタイトルでもレコードの盤の状態が違えば、音もやっぱり違うのだよね。
分かりやすく言うと、全く聞かれていない新品の盤と、散々聞かれて針傷がいっぱい盤面に刻まれた盤では、当然ノイズも含め全然違うわけ。
CDの場合も盤面の傷とかはあるけど、これはデジタル信号が読めなくなって音飛び、あるいは再生不能になってしまうわけで、新品のCDと比べて「音」に違いがあるわけではない。
ましてmp3のようなデジタルデータになると、どのパソコンで聞こうが、1万回10万回コピーしようが、データ自体は完全に同一なので、音ももちろん全く同じ。
でもこれがレコード盤の場合、極端な話一枚一枚全て音が違うともいえる。まぁそれが聞き分け出来るかは別として、理論的には「全く同じ音のレコード盤はこの世に一枚もない」ことになる。
至極当たり前の話なんだけど、そう思ってから、一度も聞かずにコレクションを手放しちゃう=売っちゃうのもなんだか勿体ないなぁと思うようになった。
なので、どうせ売って手放してしまうにせよ、それまでの期間は家の部屋で流しながらその音との一期一会を楽しもうと思ったのです。
レコードは聴くために買うもの、と考えている人(それが普通か…)には信じられない話だろうけど。笑

いいですよ、アナログレコード。
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エンドロール
昨夜は外にいて観れなかったSMAP×SMAPの最終回。
観てないやつに何が分かる?という感じだけど、本当に昨日で終わってしまったんだなぁと今もなんとも言えない寂しい気持ちになっている。
そんな気持ちだから敢えて昨日は観なかった、というのもあるけれど、先週までの放送を見る限り、なんとなく昨日の最終回がどんな感じだったのか想像は出来る。
グループは本当に難しいよね。
どんなに人気があっても、周りから望まれていても、無くなる時はなくなる。出来ないものは出来ない。
僕はジャニーズのグループはみんな好きだけれど、SMAPはやっぱり別格だ。
SMAPというグループがあって本当に良かったと思っているし、感謝している。
ありがとう。

今年も残すところあと5日。
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